アブラハムの信仰から/理事長 都丸正夫

「艱難汝を玉にす」と言うことわざがありますが、艱難を負の財産としてではなく前向きに生きた人だけに言うことの出来る経験でしょうか?「若い時の苦労は買ってでもしろ」とのことわざもありますが、苦しみを自分から買ってでもする人は、いないでしょう。しかし、苦難を通して人は品格が成熟していくものです。トマゼオは、「苦しみで教育されてない人間は、いつまでも子供のようだ。」と言っています。詩篇の作者は、「苦しみにあったことは、わたしにとって良いことです。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことが出来ました。」(詩篇百十九篇七十一節)と信仰告白をしています。普通苦しみは、負の財産で、愚痴の一つも言いたくなるものです。しかし、苦しみにあったことは有益で、正の財産と言っています。負が正になったのは、どうしてでしょうか?答えは、七十一節の下の句にありました。それは、神様のみ言葉を生活の中で体験できたことによるのです。

アブラハムも人生の中で少なくとも三つの大きな難題に遭遇し信仰によって克服したとヘブル書(十一:八~十九)は教えています。第一の難関は、故郷を離れ神の示すところに出て行けとの召しに従って、行き先を知らされることなく旅立ったことです。(創世記十二:一~四) 今までの安定した生活を捨てて、どんなにか不安だったでしょうか。不安定、安心感の欠如の危機
(Insecure)と言っていいでしょう。第二の難問は、サラの不妊で、しかも子を産むことのできる年齢も過ぎていて子を産むことが不可能(Impossible)だったということです。神は以前アブラハムを多くの国の父とすると約束していました(創世記十七:三~五)が、肝心の子が与えられてないのです。これでは、神の約束は反故になってしまうのです。第三の難題は、やっと与えられた子イサクを神に捧げよ(創世記二十二:二)という不条理、不合理(Illogical)です。こんなことがあっていいのでしょうか?どんなに考えても、腑に落ちません。理にも、情にもまったく適っていません。

では、アブラハムはこれらの難題をどう克服したのでしょうか?

第一に、アブラハムは神を信じ、従ったとあります。「アブラハムは主が言われたようにいで立った。」(創世記十二:四)「あなたがわたしの言葉に従ったからである。」(創世記二十三:十八)信じるとは従うことと教えています。パウロは、ロマ書の中で、「信仰の従順」(一:五)と語っていますが、信仰則ち従順と訳すことも出来ます。信仰は、ただ知識ではなく、行動を伴うものです。好きな聖歌三百十六番(御言葉なる)の英語のくりかえしに、「Trust and obey, for there is no other way to be happy in Jesus, but to trust and obey.」とあり、信じるとは従うことと歌っています。

   御言葉なる光のうち主とともに歩まば
   行く道すじ照らし給わんより頼むわれらに
   げに主はより頼みて従ごう者を恵み給わん
       (御言葉なる光のうち 第一節)

第二の秘訣は、アブラハムは、神を信じて、神を体験(know)したことです。ヘブル書十一章のアブラハムの箇所には、四回「信仰によって」が使われていますが、そのあとに、記載されているのは、アブラハムがとった行動で、「行き先を知らないで出て行った。」(十一:八)、「約束の地に宿り、幕屋に住んだ。」(十一:九)、「サラも年老いていたが、種を宿す力を与えられた。」(十一:十一)、「試練を受けた時、イサクを捧げた。」(十一:十七)と記されています。その結果、アブラハムは、不安感には「アドナイ.シャロム」(主は平安)を、不可能に対しては「神には不可能はない。」(マタイ十九:二十六)を、そして、不条理には「アドナイ.イエル」(主は備える)を体験したのです。

御顔の笑み輝く時雲きりは消えゆき
疑いなく憂いもなしより頼むわれらに
げに主はより頼みて従ごう者を恵み給わん
(御言葉なる光のうち 第二節)

第三の秘訣は、神の約束を疑わず信じきったことです。ヘブル書十一章八~十九節には、四回「約束」という言葉が出てきます。人の約束はあまりあてにはなりませんが、神様の約束はどうでしょうか?ある神学者が、聖書に出て来るすべての約束を数えたら、三千五百七十八もあったそうです。では、アブラハムへの神の約束-「イサクから出る者が、あなたの子孫と呼ばれるであろう。」(創世記二十一:十二)を神は反故にするのでしょうか?イサクを捧げたら一体誰があとをつぐのでしょうか?神の約束は、一つも欠けることはない(ヨシュア二十三:十四)とアブラハムは考えた末、「神は死人の中から人をよみがえらせる力がある」と信じたのです。すごい信仰ですね。それまでの聖書の記載の中では、死人がよみがえらされたことはありませんから、その結論を引き出してくるとは、信仰以外にありません。しかも、信じきったのですから。

それゆえ、「彼は、神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した。」(ロマ書四:二十~二十一)とパウロもアブラハムの信仰を絶賛しています。 

アブラハムが遭遇した三つの困難は、わたしたちにも共通するもので、いかに克服するかの参考でもあり、わたしたちの模範となればと祈ります。

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