感謝、偲び。鄭連徳牧師、楊王満氏へ敬意を捧げます。/ 連碧玉 前常務理事
editer: 玉蘭莊 date: 2025-05-14 21:44
我々が敬愛する鄭連徳牧師は、2025年3月9日、朝食を終え、好きなマッサージチェアーでひと休みをしている時に、息を引き取りまして、天国へ行かれました。享年100歳です。お知らせを受けた時に、淋しい感じを禁じ得られませんでした。
鄭牧師は1979年から、台北東門教会の第三期の主任牧師として、就任され、1991年に満40年の宣教奉仕を終えて、定年退職をしました。東門教会での奉仕は13年半に亘りました。その間、教会の拡張改修工事にも携わって、教会の正面を本来の狭い路地(臨沂街57巷)から、大通りの仁愛路(二段76号)へ変えて、教会に新しい展開をもたらしました。更に、教会の図書館を教会の会員専用のみならず、近隣、一般人へも公開して、よりコミュニティーとの距離を縮めました。また、大学生の寮を設置して、日本語の集いと、原住民の集いを推進しました。玉蘭荘の設立にも惜しみなく、多大な協力をくれました。それ以外に、安和教会の開拓や、相談センターなど、様々な奉仕をしました。
鄭牧師は、自伝「人生二十」という本に、生と死との境を体験したからこそ、命を愛し、積極的に社会への奉仕をするようになりましたと綴りました。
東門教会に赴任する前に、鄭牧師は様々なセンターを作りました。良隣会、互談会、馬偕病院相談室、自殺防止センター、生命線、家庭相談センター、家事法廷等々です。そのおかげで、多くの家庭が希望と幸せを蒙りました。鄭牧師のご説教は、常に聴衆の笑い声を買います。そのユーモアな話はいつも深刻な人生経験の知恵が含まれています。非常に印象的です。
鄭牧師は東門教会の会員の敬愛受けて、定年後も東門教会の名誉牧師とされて、尊敬されています。鄭牧師は定年退職後、しばらくアメリカのニューヨークへ定住しました。しかし、定年とはいえ、ずっと宣教活動を続いていました。いつも海外の台湾人教会へ、ご説教に行っていました。アメリカを始め、カナダ、ブラジル、パラグアイ、日本、オーストラリア、ニュージーランドなど、200軒以上の教会へ行きました。そして、2007年に、奥様と共に、台湾に帰国しました。しかし、なお宣教活動を怠けることなく、活躍していました。
東門教会の在任中、教会の拡張工事を行いました。完成後、教会の役員会の同意を得て、一階のふれあいの場を木曜日の「聖書拝読とお祈り会」に提供し、1980年6月12日より、日本語の集いが正式に東門教会で始まることとなりました。鄭牧師もその集いの講師を務めました。
1985年7月1日、日本基督教団と台湾長老教会総会との間に、「宣教協力協定」が締結され、日本より堀田久子宣教師が派遣されて、台湾での日本語集いを担当しました。堀田宣教師の努力、及び鄭牧師の協力で、集いは順調に展開されました。また、ウィークリー知らせの内容もかなり一新されました。堀田宣教師は家庭訪問を行い、個人へのケアによって、日本語の集いは安定しながら、成長し続きました。
35年前、「玉蘭荘」は母体の「聖書拝読とお祈りの会」から、創立することを堀田宣教師より提案しました。鄭牧師の協力によって、最初は安和教会の地下室で成立しました。(場所は安和教会が無償で提供してくれました。)創立当時、「玉蘭荘」には資源がなく、人力、経費、物資が共に乏しいでした。鄭牧師、堀田宣教師、及び「聖書拝読とお祈りの会」の会員たち、また有志の協力で、やっと安定しまして、玉蘭荘の礎が固められ、今日まで至りました。
鄭牧師がアメリカ滞在中、台湾に一時帰国する時に、必ず玉蘭荘を訪れ、ご説教をしてくれました。鄭牧師はよくアメリカでの見聞を皆さんに聞かせました。牧師の話し方は今にも印象に残っています。
鄭牧師の一生は教会に尽くして、信徒、社会へ貢献しました。天国で安らかにおやすみなさい。鄭牧師がよく言われた言葉:「人間の一生は星のように、キリストの光を反射し、神様を尊いしくして、人に益をもたらすこと。」
〜楊王満牧師夫人を偲び〜
敬愛する楊啓壽牧師の夫人、楊王満さまは、楊牧師の台湾キリスト長老教会総会の総幹事就任と同時に、花蓮から台北に転居しました。1994年「玉蘭荘日本語老人活動センター」に加入して、積極的にシルバー族のケアの仕事をしました。長年玉蘭荘でボランティアを奉仕し続けて、2016年に交通が不便な林口へ引っ越ししましたから、やむを得ず、ボランティア活動を辞めました。2025年3月11日、楊王満牧師夫人は、天に召されて、主のおられる天国へ行きました。享年91歳です。お知らせを受けた時、悲しみは禁じられませんでした。
「玉蘭荘」で黙々と奉仕している楊王満牧師夫人は、才能と人徳があり、知恵優れて、優しい方でありました。「玉蘭荘」創立した早期、人力、経費、物資共に乏しい時期に、楊王満夫人は他のボランティアたちと無私で奉仕していました。
楊王満夫人は一人で会員のケアや、翻訳、通訳、ピアノ、合唱団の指導など、色んな奉仕をしていました。創立時の大川記代子さんと今井文子さんと同じように、積極的に会員さんを訪問し、ボランティアの講座を開き、様々なケアの活動をしていました。楊王満夫人も玉蘭荘の運営委員、関懐組長、理事などを務めました。体の不自由な高齢者に対して、楊王満夫人と今井元総幹事が率いるケア組は、常に時間を費やして会員を訪ね、寄り添いながら、暖かく対応してあげました。高齢者の会員は、多くの温かい思い出を残しました。
1993年10月、玉蘭荘は訪問関懐組を作って、ケアのサービスを展開しました。そして、ボランティアの能力を向上するために、1994年9月に、初めて日本語ボランティアさんの講座を開催して、14人のボランティアさんが課程を修了しました。1994年5月に、二回目の台湾語ボランティアさんを対象とする講座が開催され、15人が修業しました。1996年6月、楊王満夫人はJOCS(日本キリスト教海外医療協会)の支援を得て、日本へ研修に行きました。1997年4月に、理事会は同5月に付き、楊王満夫人を訪問関懐組の責任者、組長と正式に任命しました。
1994年9月から11月の期間中、大川記代子元総幹事が主催する日本語ボランテ講座が終わった後のことでしたが。毎週の水曜日午前10時、医療常識、訪問、心理の看護などに関する勉強会や討論会を開きました。昼は皆さんが一緒に持参した弁当を肴に、お喋りをしながら、ひと時を楽しんでいました。午後は病院、施設、自宅にいる高齢の会員さんを訪問していました。
半年後、大川元総幹事の任期(1995年5月)が終えて帰国しました。引き続き、今井文子保健師が講師になって、指導を行いました。そして、2000年5月に総幹事に就任しました。訪問ケアの活動は10数年続きました。後期になって、リハビリの専門家黄燕卿先生(黄武東牧師の息女)も訪問ケア活動に加え、高齢者に必要なリハビリや看護のコツなど伝授しました。
黄先生は専門の知識があるだけではなく、神学のバクランドもあったから、いつも聖書を解明し、宣教をしていました。楊王満夫人、今井元総幹事、鄭秀珠牧師夫人、張明徳元総幹事、及び馬場十吋穂元理事らは、訪問ケア組を率いて、玉蘭荘のケア活動に多大な貢献をしてくれました。
2000年11月7日、黄燕卿先生はJOCSの支援を得て、日本へ研修に行きました。2001年10月24日から11月14日までの期間中に、黄先生は「自宅老人リハビリ介護研修会」を開催して、玉蘭荘の高齢会員に尽力しました。
楊王満夫人が関懐組の組長に赴任してから、常にキリスト愛の精神を持って、全力を尽くして高齢者の老後の尊厳を高めることに努力しました。訪問ケア組の中心者であって、ボランテさん達と連携して、温かいケア、心のこもった真摯なサービスを提供して、高齢者の福祉を促す使命を果たしました。玉蘭荘に多くの成果をもたらしました。
楊王満夫人の玉蘭荘に対する愛情と奉仕は、私たちの心に刻まれています。夫人が天国で主が賜われた平安を享受するように、お祈りいたします。そして、遺族の楊啓壽牧師、家族の皆様、主の慰めがありますように、平安がありますように、お祈りいたします。