エマオへの道のり/陳良智常務理事

ルカによる福音書の26章に、ある意義深い物語が記載されています。イエスが受難された後、二人の門徒はエルサレムを離れ、距離11キロにあるエマオというところへ行こうとしました。彼らはイエスの死に失望しました。彼らはずっとイエスがキリストであって、必ずユダヤ人をローマ帝国の束縛から救い出してくれる救い主だと思ったからです。しかし、イエスはローマ帝国独特な十字架に受けられて、殺されました。彼らは困惑しているかもしれません。エルサレムを離れるその早朝、何人かの婦人はイエスが復活されたとの情報を伝えてきました。そして、遺体は見つかりませんでした。遺体が無くなったのは誰かが盗んだのではないですか。或いは、更に遺体を辱めるためではないのですか。何故、イエスが復活されたと伝えるでしょうか。

非常に落ち込んでいます。そして、従うリーダーがいなくなりました。イエスが亡くなった後、どうすればよいかわからなくなりました。とにかく、指導者がいません。だから、二人が離れようと思ったでしょう。途中、偶然にある通行者が彼らに近寄って、彼らの対話に加えました。通行者はヘブライ聖書で、キリストの受難は神様の御意志であることを論じました。二人の門徒が目的にたどり着いた時点、既に陽が落ちて、夜になりました。二人の門とはその通行者を一緒に食事をしようと誘いました。餅を分ける時に、二人の門徒はやっと通行者がイエスであることに気付きました。

この物語はマルコによる福音書が記載されているものよりも具体性があって、よりドラマ性があります。私たちが再三に吟味することに値します。二人の門徒が途中で通行者と論議していた時、二人の心は非常に熱いのでありました。しかし、なぜ途中気付かず、食事をするときにやっと気付いたのですか。これについて、多くの聖書学者、神学者が論説を提出して、討論していました。とは言え、話は変わります。本日、話したいエマオはエルサレム付近のではなく、日本の仙台にあります。

2011年3月11日に、東日本大震災が起きました。被災地は主に東北地方に集中しています。現地の日本基督教団東北教区は事務所を開放して、ボランティアの活動中心にしました。2014年私が勤めていた高雄の鹽埕教会に、海外ボランティア活動に参加したい青年がいました。主任牧師は私もボランティア活動に参加して、青年の世話をするようにと指示しました。そのため、私は「日本キリスト教団東北教区センターエマオ」へ行きました。

皆さんも御存知のように、日本にはクリスチャンの人数は多くありません。約全人口の1.2%を占めしています。だから、クリスチャンのボランティアだけでは、全てを負担することは非常に難しいのです。従って、日本基督教団東北教区はやむを得ず、クリスチャンではないボランティアをも受け入れるようにしました。皆が一緒に、被災者の精神を再建する仕事をしていました。2014年というのは、既に震災発生後3年が経ちました。しかし、多くの被災者はなお仮設住宅に住んでいます。本来住んでいた沿岸地区は建築禁止地域になっています。しばらく戻ることはできません。ボランティアの主な仕事は被災者に付き添い、一緒にラジオ体操をしていました。或いは環境の整理整頓、または農作業を手伝いました。

被災者を収容する場所から「エマオ」まで、実にかなり離れて、距離があります。「エマオ」も全てのボランティアさんを収容するスペースができません。一部のボランティアさんは近くの教会が提供している場所に仮住まいをしています。朝、私たちは「エマオ」へ行って、簡単な朝食を済ませます。朝食というのは、牛乳にコンフレークを入れるものです。その後、簡単な報告や知らせがあって、チームを分けてから、私たちは電動自転車に乗って、配られた仮設住宅や、農場へ行きます。途中、スーパーや売店などの売り場で自分の昼飯を買います。夜「エマオ」に戻ると、少しマシな晩御飯があります。留守のボランティアさんがカレーや味噌汁と作ってくれです。食後、今日使った電動自転車のバッテリーを交換することも必要です。

最初、日本人ボランティアさんが言っている「エマオ」という言葉について、私は全然わかりませんでした。北京語で「以馬忤斯」というと、四つの発音があります。しかし、日本人ボランティアさんは「エマオ」を二つの発音、つまりE-MAOと発音しました。しかし、発音がどうであれ、場所は一つ、一番大事なのは、ここで行われたことです。ある人はオフィスを整理して、仮住まいとして提供してくれました。その中に、初めて教会に来た人もいます。何かお手伝えすることはないかとの問い合わせもありました。皆さんは一緒に知らない被災者をサポートしています。

実は、「エマオ」はエルサレムにも、仙台市にもありません。私たちの身近、私たちがいる場所を指します。「エマオ」で、イエスと出会えば、イエスと気付いたら、心を温めて、世間のために、人のために、熱心に奉仕をしましょう。

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 6