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私が玉蘭荘を知ったのは、日本人会会報誌「さんご」での広告でした。お恥ずかしい話ですが、私は台湾で生活を始めるまで、日本が台湾を統治していた時代があった事さえ知りませんでした。統治時代の建物を見たり、話を聞いたりするうちに、日本語教育を受けた世代の方々にとても興味が湧きました。そんな矢先に出会ったのです。

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三月、四月は、台湾からも日本の桜を見に行く旅行者が多いようです。

満開の桜を眺める喜びは、日本では特別の感慨があります。美しさに酔うだけでなく、ああ一年を迎えられた、昨年は誰とどこの桜を見た、今年は...と年月を数えたり、思い出を巡らせたり、その恵みに感謝します。

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陳慧如牧師を偲ぶ/牧師 林月桂

邂逅 :「陳さんが帰天されたのです。長い豊かな人生を終えて、安らかな休息に入られたのです。私たちも生かされている間、精一杯『自分らしく』生きて行きましょう!」

私のクラスメイトで、陳先生と同じく一九六〇年春、東京神学大学に入学し、三年間陳さんといっしょに女子寮で学んだ方からの便りです。

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水和さんの思い出/重金優子

今から二十年ほど前、私が玉蘭荘に来たばかりのころです。当時水和さんは七十歳になるかならないかくらいで、玉蘭荘の会員さん達の中では一、二を争う《若手》さんでした。もちろんフットワークもとても軽くて、活動日には、年上で足の悪い会員さんのお茶を入れに行ってあげたり、玉蘭荘で注文するお弁当では多くて食べきれないという人のために、外までお弁当を買いに行ってあげたりしている姿をよく見かけました。若い男性の会員が少なかったせいもあってか、水和さんにお手伝いを頼んでいる《お姉様方》は、彼のことを《玉蘭荘のぼうやちゃん》と呼んで可愛がっておられました。そして「ぼうやちゃん、お願いね」と言われると、水和さんはさっと立ち上がって部屋を出ていくのでした。

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玉蘭荘でボランティアを始めてから三年が経ちました。バザーも二回参加させていただきました。最初はいつも緊張がちでしたが、玉蘭荘の皆さんに色々助けて頂き、お蔭で徐々に馴染むことが出来ました。

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人生、これからが本番/理事長 都丸正夫

画龍点睛‐物事を完成するために、最後に加える大切な仕上げのたとえで、中国六朝時代、梁(りょう)の絵の大家張僧繇(ちょうそうよう)が都金陵(きんりょう)の安楽寺に四頭の竜の絵を描いたが、睛(ひとみ)を描き入れると竜が飛び去ってしまうと言って、睛を描き入れなかった。世間の人はこれをでたらめだとして信用せず、是非にと言って無理やり睛を描き入れさせたところ、たちまち睛を入れた二頭の竜が天に昇り、睛を入れなかった二頭はそのまま残ったという故事からきています。

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証し/羅梅妹

二〇一六年二月二十四日の夜、トイレに立とうとして、杖がすべり、尻餅をついてしまった。老人が転ぶということが、どんなに恐ろしいことであるか、この度の経験で痛いほど味わった。

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「若く明るい歌声に...」声高らかに歌い、手を振るお姿を初めて目にし、目頭があつくなったあの日から、早いものでもう七年。きっかけは、日本人会婦人部役員からのご縁でした。そのありがたいご縁のおかげで現在に至るまで玉蘭荘でボランティアとしてご奉仕させて頂いております。

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