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私が初めて台湾にやってきたのは、二十数年前のこと。

当時、教会学校を担当していたのですが、夏休みに「アジアの国を見てみよう!」という企画を企て、小学校三年生から中学一年生の子供五人と一人の神学生を助手につけて、台湾にやってきました。

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私は、生まれも育ちも台湾です。子どもの頃から日本の歌や踊りが大好きでした。高校を卒業すると、すぐに日本へ留学しました。そこでますます日本文化が好きになり、いつか日本舞踊を踊ってみたいと思うようになりました。でもその機会もなく、日本在住時代は日本語を学ぶと共に、ファッションデザインを勉強し、デザイナーとなって仕事をしていました。

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映画と私/林孟毅

私が初めて映画に接触したのは、約八十年前の、七歳か八歳の頃ではなかったかと記憶しています。当時自宅は、今の台中市太平区にあって、ある日近くの広場で夜、映画の上映があるという事を聞き、好奇心に駆られて見に行きました。当時映画は、活動写真と言われてトーキーではなく無声で、スクリーンの傍らに弁士が立って、日本語に台湾語を交えて、イントネーションを付けて解説していました。ちょっと滑稽な感じがしたが、終わりは確か、薬のコマーシャルと覚えています。映画の内容はよくわからなかったが、面白いものがあるな、と感心しました。

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私が玉蘭荘を知ったのは、日本人会会報誌「さんご」での広告でした。お恥ずかしい話ですが、私は台湾で生活を始めるまで、日本が台湾を統治していた時代があった事さえ知りませんでした。統治時代の建物を見たり、話を聞いたりするうちに、日本語教育を受けた世代の方々にとても興味が湧きました。そんな矢先に出会ったのです。

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三月、四月は、台湾からも日本の桜を見に行く旅行者が多いようです。

満開の桜を眺める喜びは、日本では特別の感慨があります。美しさに酔うだけでなく、ああ一年を迎えられた、昨年は誰とどこの桜を見た、今年は...と年月を数えたり、思い出を巡らせたり、その恵みに感謝します。

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陳慧如牧師を偲ぶ/牧師 林月桂

邂逅 :「陳さんが帰天されたのです。長い豊かな人生を終えて、安らかな休息に入られたのです。私たちも生かされている間、精一杯『自分らしく』生きて行きましょう!」

私のクラスメイトで、陳先生と同じく一九六〇年春、東京神学大学に入学し、三年間陳さんといっしょに女子寮で学んだ方からの便りです。

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水和さんの思い出/重金優子

今から二十年ほど前、私が玉蘭荘に来たばかりのころです。当時水和さんは七十歳になるかならないかくらいで、玉蘭荘の会員さん達の中では一、二を争う《若手》さんでした。もちろんフットワークもとても軽くて、活動日には、年上で足の悪い会員さんのお茶を入れに行ってあげたり、玉蘭荘で注文するお弁当では多くて食べきれないという人のために、外までお弁当を買いに行ってあげたりしている姿をよく見かけました。若い男性の会員が少なかったせいもあってか、水和さんにお手伝いを頼んでいる《お姉様方》は、彼のことを《玉蘭荘のぼうやちゃん》と呼んで可愛がっておられました。そして「ぼうやちゃん、お願いね」と言われると、水和さんはさっと立ち上がって部屋を出ていくのでした。

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玉蘭荘でボランティアを始めてから三年が経ちました。バザーも二回参加させていただきました。最初はいつも緊張がちでしたが、玉蘭荘の皆さんに色々助けて頂き、お蔭で徐々に馴染むことが出来ました。

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