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讃美歌の「主われを愛す」は、現在も多くの方に歌われています。

「主われを愛す」(しゅわれをあいす、英語: Jesus loves me, this I know)は日本に最初に翻訳された讃美歌の一つであり、教会学校やキリスト教主義幼稚園でよく歌われる讃美歌です。原作者は、アンナ・ウォーナー(Anna Bartlett Warner一八二〇~一九一五)です。姉のスーザン・ウォーナーと共にコンステテューション島に住み、アメリカ士官学校の生徒のために、約六十年間バイブル・クラスを開いて宗教教育を行いました。この讃美歌の元々の歌詞(英語)は一八六〇年に出版されたアンナ・ウォーナーの小説「Say and Seal(一八六〇)」の第二巻八章の一節です。主人公の少女フェイスが見守るなか、天に召されようとする幼いジョニーの口から漏れ聞こえる歌であり、その後、ウィリアム・ブラッドベリー(William Batchelder Bradbury/一八一六~一八六八)が一八六二年に曲をつけて、アメリカ全土に普及して、子供の愛唱歌になりました。

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エノクに学ぶ人生の軌跡/理事長 都丸正夫

エノクは創世記五章二十一-二十五節にアダムから数えて第七代目の人物として登場しています。その記載の中で、特筆すべきなのは、彼が死を経験することなく(へブル十一:五)、天に取られたと描かれている事です。

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私が初めて台湾にやってきたのは、二十数年前のこと。

当時、教会学校を担当していたのですが、夏休みに「アジアの国を見てみよう!」という企画を企て、小学校三年生から中学一年生の子供五人と一人の神学生を助手につけて、台湾にやってきました。

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私は、生まれも育ちも台湾です。子どもの頃から日本の歌や踊りが大好きでした。高校を卒業すると、すぐに日本へ留学しました。そこでますます日本文化が好きになり、いつか日本舞踊を踊ってみたいと思うようになりました。でもその機会もなく、日本在住時代は日本語を学ぶと共に、ファッションデザインを勉強し、デザイナーとなって仕事をしていました。

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映画と私/林孟毅

私が初めて映画に接触したのは、約八十年前の、七歳か八歳の頃ではなかったかと記憶しています。当時自宅は、今の台中市太平区にあって、ある日近くの広場で夜、映画の上映があるという事を聞き、好奇心に駆られて見に行きました。当時映画は、活動写真と言われてトーキーではなく無声で、スクリーンの傍らに弁士が立って、日本語に台湾語を交えて、イントネーションを付けて解説していました。ちょっと滑稽な感じがしたが、終わりは確か、薬のコマーシャルと覚えています。映画の内容はよくわからなかったが、面白いものがあるな、と感心しました。

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私が玉蘭荘を知ったのは、日本人会会報誌「さんご」での広告でした。お恥ずかしい話ですが、私は台湾で生活を始めるまで、日本が台湾を統治していた時代があった事さえ知りませんでした。統治時代の建物を見たり、話を聞いたりするうちに、日本語教育を受けた世代の方々にとても興味が湧きました。そんな矢先に出会ったのです。

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三月、四月は、台湾からも日本の桜を見に行く旅行者が多いようです。

満開の桜を眺める喜びは、日本では特別の感慨があります。美しさに酔うだけでなく、ああ一年を迎えられた、昨年は誰とどこの桜を見た、今年は...と年月を数えたり、思い出を巡らせたり、その恵みに感謝します。

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陳慧如牧師を偲ぶ/牧師 林月桂

邂逅 :「陳さんが帰天されたのです。長い豊かな人生を終えて、安らかな休息に入られたのです。私たちも生かされている間、精一杯『自分らしく』生きて行きましょう!」

私のクラスメイトで、陳先生と同じく一九六〇年春、東京神学大学に入学し、三年間陳さんといっしょに女子寮で学んだ方からの便りです。

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