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私を変えてくれた台湾/ 清岡康枝-(137)

みなさんこんにちは。ボランティアの清岡と申します。玉蘭荘さんへ伺うようになってから約三年が経ちました。日常ボランティアとしては今まではほとんどがスープ作りかトールペイント講師ですので、なかなか多くの会員の方にお目にかかることができず残念に思っております。

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玉蘭荘が一九八九年に創立されて以来今年で二十三年、台湾における唯一の日本語による老人ケアと云う非常にユニークな活動を続けておられるとお聞きしました。週二回、台北市近郊のあちこちから日本語世代を中心とした元気な御老人達が集まり午前十時~午後三時の間、真に楽しい時間を過ごしておられる。先日も参観させて頂く機会があり、皆さんが懐かしの日本の歌を溌剌と歌っておられる姿を拝見し感心した次第です。一九八九年創立と云えば戦後四十年間続いた戒厳令が一九八七年に漸く解除され、台北にも自由な時間が戻ってき、それまでの抑圧から解放された時期とタイミングを一にしているわけです。二十世紀の激動の時代を逞しく生きて来られた会員の皆さんと玉蘭荘の運営を支えて来られた役員やスタッフ、ボランティアの皆さんに敬意を表したいと思います。

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 長野県高校生からのメッセージ-(136)

☆先日の玉蘭荘での交流会では大変お世話になりました。ありがとうございました。

限られた時間の中で、折り紙を折ったり、一緒に写真やパンフレットを見たり、お話をしたりと、たくさんの交流ができました。本当に楽しい交流会で、私にとってとても大切な思い出となりました。

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父は、私が幼い頃からあまり家にいることがなく、数週間に一度しか家に帰って来ませんでした。台湾電力の工程処で働いていた父は、勤務地が遠かったために毎日帰宅することができなかったのです。そのため私は父との関わりが少なく、手をつないだり、抱っこしてもらったりという思い出もありませんでした。それでも、父は私達四人の子供を愛してくれている、と常に信じていました。

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「父の日」に思う/杜武志-(136)

今迄「父の日」と言えば、子女に囲まれて舌鼓を打つだけでした。今年は玉蘭荘で「父の日を祝う」とて、新米の私にも白羽の矢が立てられましたので、感想の一端を述べさせて頂きました。

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私の故郷は高雄市の発祥地旗後町(旗津区)と湊町(浜線)です。これは日本統治時代の町の名で、高雄の港湾の両岸にあります。旗後町は主に造船所が多いので、造船材料・造船工具の商売を、湊町は漁船が集結して、船舶用品から漁船の漁具に、また大型貨物汽船の貨物荷上げ用ワイヤロープ・ナイロンスリングの吊り上げ道具、救命胴衣の商売をしていました。屋号も新和興と名付け親爺の代からの老舗で、漁船の出入りが多いので商売は繁盛しておりました。

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私の父の思い出二つ/余甚足-(136)

五月の母の日に「玉蘭荘だより」に母の事を書きましたが、父の日にも是非父の事をも書かなければ申し訳ないので、再び筆をとりました。

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一日は千日に優る。(詩編 八十四編 五節・十一節)
いかに幸いなことでしょう あなたの家に住むことができるなら 
まして、あなたを賛美することができるなら。(詩編八十四:五)
あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。
主に逆らう者の天幕で長らえるよりは
わたしの神の家の門口に立っているのを選びます。
(詩編八十四:十一)

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