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去年と今年、二年続けて「母の日」に、賛美歌、英語や日文の歌を私達の歌声で先輩の方々の前で披露し、共に楽しませて頂いたことを大変嬉しく思っております。私達のコーラスの組成は極単純で、歌が好きな家族や友人で組織され、毎週の水曜日夜七時に雅美姉の家に集まり、歌の練習をして参りました。雅美姉、黄淑恵〈雪美の大学の同級生〉と私の三人がソプラノで、雪美と范力勤(雅美の娘)二人はアルトです。指揮と伴奏を范振義老師〈雅美の夫〉が一人で担当され、又、二部合唱だけにするために范老師は、原来の楽譜を新たに編曲して歌いました。

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陳加寿子先生は、玉蘭荘で「朝の歌声高く」や礼拝の賛美歌の伴奏を、ずっとご奉仕下さいました。また、昨年からは「賛美歌を味わう」のクラスを楊王満顧問(楊啓寿牧師夫人)から引継ぎご指導下さいました。

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私の父は西暦一九二六年日本統治時代の生まれで、八十六年の人生歳月の中では、第二次世界大戦に巻き込まれ、徴兵されて日本海軍陸戦隊に入隊し、戦後は、所謂「白色恐怖」時代を経験し、二十一世紀に入った台湾が、近代的な変化を実現したことも見届けました! 二十九歳の時に父親を亡くした彼は直ちに長男としての責任を担って、母親や弟妹の世話をして戦後の混乱の中で、神様の恵みとお守りに頼り、困難を克服し、後にも弟妹達と助け合い、励まし合いながら努力して、一家は遂に苦境を乗り越え、平安な道に辿り着いたのです! 父が生涯で遭遇した苦難や哀楽の数々は、彼の晩年に出版した著作「神の愛といばらの人生」に詳しく記載されておりますので、どうぞご覧下さい。

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バッジは今の社会でも良く使用されている一つの飾り物でもあります。

学生たちはかばんに学校のバッジを付けています。役所の人たちもよくその勤め先のバッジを制服に付けています。社団法人の職員たち(例えばロータリークラブのメンバー)もよくそのクラブのバッジをスーツに付けています。その外に大企業の人、工場の工人、軍隊の長官や仕官などもそれぞれのバッジをスーツの胸や肩、或いは帽子につけます。

これ等のバッジは、見せる相手に自分の身分や職場を分り易く見分けるためです。

同時に相手は自分の団体や職場の人を見分けられ、仕事の連絡がたやすくなり役立ちます。

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今年は春の訪れが例年に比べて大分遅いようです。台湾では新旧二つの正月があり、気候的にも寒さが長びいたためでしょうか、春の到来が緩やかになり、さあ春だと腰を上げて何かする意欲が鈍くなるのも、私等シルバー族の性でしょうか?ふと目をあげてカレンダーを見ると既に三月中旬でした。さあ、いよいよ春がやってきました。冬眠から醒めて、前に向かって頑張りましょう。

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許長老が天国に召された知らせを受けて、それは勝利であり、死ではないと私たちは思います。許長老の新しい生命の始まりです。

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「人生の海の嵐に、もまれ来しこの身も、不思議なる神の手により、命びろいしぬ。いと静けき港に着き、我は今安らう。救い主の手に在る身はいとも安し。」

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私達の敬愛する玉蘭荘前理事長許石枝長老がお亡くなりになられ、とても辛く悲しい思いを致しております。彼は私達の尊敬する信仰の大先輩であられるばかりでなく、より良き社会を築くべく熱心に心を砕かれ、台湾民主運動にも、並々ならぬ尽力と貢献をなさった方です。しかし、今では既にこの世を去られ、天に召されました。

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