七月二十七日は、日本長野県高校の学生さんと台湾玉蘭荘との交流会でした。私は体格の逞しい丸山裕也君と出会いました。しっかり者のたのもしい人で、漫才も聞かせてくれました。登山が好きで火打岳に登山した時、隣の山から火口を写した写真も戴きました。私達は平均年齢七十六歳で、玉蘭荘では日本語を常用していますので、言葉には困りません、室内は忽ち元気一杯に溢れ返ってしまいました。
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私が総幹事に就任して間もなく、荘歌の必要性を感じ、運営委員会において提案した。国家には国歌があり、学校には校歌がある。
皆さんおはようございます。また皆様にお会いでき、み恵みの言葉を分かち合うことが出来て大変嬉しく思います。
さる七月二十七日、日本長野県より高校生の皆さんが玉蘭荘を訪問、会員さんたちと交流会を開催しました。台湾の特別な歴史的背景を垣間見ることができた日本の若者たちと、若い人たちと日本語での交流する、数少ない機会に恵まれた玉蘭荘の皆さん。どちらにとっても大変有意義な時間が過ごせたのではないでしょうか。後日高校生の皆さんからお便りが届きましたので、一部抜粋してご紹介します。
さる六月四日に玉蘭荘を訪問された、きのくに国際高等専修学校の生徒さんから、玉蘭荘のみなさんへお便りが届きました。交流会での楽しいお交わりは、生徒さんたちにとっても、また玉蘭荘の会員さんたちにとっても、有意義でよい経験となったようですね。
-台湾医学生帰郷途上の遭難- 郭維租
鉄の扉ついに開かれて
昭和十八年一月十日頃、陰欝な毎日が続いていたが、この日は太陽が久しぶりに顔を出し、春のような日和で、しかも午後一課目が休講。同じ台湾から来ていた級友の林秋江君と共に、千葉の裁判所に勤めている法科の陳茂源先輩を訪問した。少し前に東京帝大関係の台湾人の同窓会で初めて陳先生に会ったが、むやみに酒を勧める事もせず、言葉は少ないが内容があり、何時か訪問してゆっくり話を聞きたいと思っていた。
玉蘭荘に寄せて頂いてから十数年。神様が小さな玉蘭荘を今日のように、大きく育てて下さいました事、ほんとに感謝です。
東シナ海の魚雷攻撃
昭和十八年三月中旬、私は数人の学友と共に、春休みで東京から台北へ帰郷の途についた。十六日、神戸出航の客船「高千穂丸」に乗って、風光明媚な瀬戸内海を通っていると、大戦中だという事が嘘のように思えた。
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