雨と雪の祝福 高俊明牧師--120号

聖書 イザヤ書五十五章八~十三節

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり

わたしの道は、あなたたちの道と異なると

  主は言われる。

天が地を高く超えているように

わたしの道は、あなたたちの道を

わたしの思いは

  あなたたちの思いを、高く超えている。

雨も雪も、ひとたび天から降れば

むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ

種蒔く人には種を与え

食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も

  むなしくは、わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ

わたしが与えた使命を必ず果たす。

あなたたちは喜び祝いながら出で立ち

平和のうちに導かれて行く。

山と丘はあなたたちを迎え、

歓声をあげて喜び歌い

 野の木々も、手をたたく。

茨に代わって糸杉が、おどろに代わってミルトスが生える。

これは、主に対する記念となり、しるしとなる。

それはとこしえに消し去られることがない。

【序】 玉蘭荘十九歳のお誕生日、おめでとうございます。

今先読みました聖書のみ言葉に基づいて、三つのことを一緒に考えて見ましょう。

一、雨の祝福

 最近はしょっちゅう雨が降って大水になったり、土砂崩れになったりして困っている人もいるでしょう。しかし、昔のユダヤ人にとって、雨は神様の大きな恵みでした。特に春の雨と秋の雨は素晴らしい恵みでした。

春の雨は土をやわらかくして、畠を耕し易くし、種を蒔くのを容易にしてくれました。秋の雨は豊かな収穫をもたらし、人々に充分な食糧を与える大事な雨でした。

 日本の童謡に

 「雨 雨 降れ 降れ

かあさんが 蛇の目でお迎え 嬉しいな

ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」

と言う歌がありますね。大変短い歌ですが、その歌詞の中には、雨降りに対する喜びと、お母さんが大きな傘で迎えに来て下さる最高の喜びを、溢れんばかりに歌っているのです。

雨はよごれた森や家並を奇麗に洗い、汚染された空気を清め、豊かな収穫を与えてくださる神の恵みです。しかし、その雨が洪水になったり、土砂崩れを起こしたりするのは、人間が無責任に大自然を破壊しているからです。

私達はもっと力を合わせて、神様が与えて下さったこの美しい山、川、海、森、平野、植物、動物と万物を愛しましょう。そしたら春、夏、秋の雨が神様から与えられた大きな祝福となるのです。    

二、雪の祝福

冬になると雪が降ります。雪のベールをかぶった富士山は美しく、スイスアルプスの山上に輝く永遠の積雪も美しいです。雪も神様が私達に与えて下さった大きな恵です。

 四十数年前、私は東京の鶴川農村伝道神学校で一年間、研修させてもらいました。多くの先生方やクラスメートや東南アジアの留学生たちから、大変多くのものを学ばせて頂きました。

 研修が終わった年の春、私は一人で北海道に行きました。高く積もっていた雪が、春の暖かい太陽に照らされてとけ始めていました。私は十日間程、北海道の主だった湖を見て廻りました。そして或る日、私は湖畔の森や花畠に、鈴蘭やラベンダーやチューリップやその他の色々な花が一面に咲き乱れているのを見たのです。

 厚く積もった雪の下で、多くの花たちが安らかに眠り、そして眠りながら健やかに育ち、静かに春の到来を待っていたのです。春が来ると共に、それらの花たちは一斉に目ざめて、その美しい蕾をひらき咲き、その清らかな香を野と山に漂わせたのです。

 雪も雨と同じように、神様が私達に与えて下さった大きな恵みです。

三、神の祝福

聖書は神様のみ言葉です。聖書は神と人と万物に関する豊かな真理と豊かな祝福に満ち溢れています。しかし、神の祝福が、時々苦難を伴なってやって来る事もあるのです。 

  神様は「天が地を高く超えているように

      わたしの道はあなたたちの道を

      わたしの思いは

      あなたたちの思いを、高く超えている」

と言われました。(イザヤ書五十五章 九節)

  イエス様は言われました。

「― あなたがたには世で苦難がある、しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」  

(ヨハネ福音書 十六章 三十三節)

この世で私達は色々な苦難や迫害に会います。しかし、失望してはいけません。イエス様に依りすがって勇ましく苦難や迫害に立ち向かい、信仰と希望と愛と知恵をもって、それに打ち克つのです。するとその苦難と迫害が、神様からの大きな祝福に変るのです。

最近私は二十名の教授や、各界の代表と一緒に錫安山の新約教会を訪れました。四十五年前、洪エリヤ長老と一群の主にある兄弟姉妹は、家族をつれて高雄県の山奥の又山奥に行きました。彼らは退役軍人とその家族です。彼らは錫安山に定住して四十五万坪もあるその錫安山を耕し、そこを神の愛の共同体、地上のエデンの園にしたいと心を一つにして十数年間努力しました。

しかし一九八〇年、蒋経国総統の時、突然数百人の警察がやって来て、彼らの家屋と農場と全て施設を破壊し、錫安山に住んでいた全ての老若男女を全員、武力づくで山麓に追い払ったのです。彼らは山麓の河辺で七年間、暴風、洪水、飢餓、炎熱などにさいなまれました。十数名の指導者は台湾各地の刑務所で、惨々な苦しみに遭遇しました。けれども、彼らはイエス様にすがって、勇敢にこれらの苦難と迫害を耐え忍んだのです。

法院(裁判所)は遂に彼らの「無罪」を宣告しました。彼らは錫安山の旗を高くかかげて、錫安山に帰って行きました。しかし途中で又、武装した警察数十名に襲撃され、多くの老人や青年男女がめっちゃくちゃに乱打されて血を流し、洪エリヤ長老は体中傷だらけになって昏倒したのです。けれども彼らは、これらの苦難に打ち勝って、錫安山に帰ったのです。

毎朝四時半、教会の前庭に集って老若男女全員で熱心に祈り、讃美し、神のみ言葉を聞き、神を礼拝したのです。そして、警察によって破壊された教会、家屋、農舎等を再建したのです。

今や高雄の錫安山四十五万坪は充分に開発されて勝利記念館、農場、牧場、農産物加工場、一千人を入れることができる大会堂、大魚池、森、花畠、等があるのです。

洪エリヤ長老はもう八十二歳になるのですが、今でも毎朝四時半、全錫安山数百名の兄弟姉妹と共に熱心に祈り、礼拝をしてから、青少年の教育と錫安山の建設と運営にいそしんでおります。十数年来、洪エリヤ長老は何回も青年たちをつれて、マレーシア、ニュージーランド、アフリカ、オーストラリア、アメリカ等にも行って伝道しているのです。

私たちも色々な苦しみや悲しみに負けず、私たちの玉蘭荘を地上のエデンの園のように美しい所に築き上げましょう。

 

(九月十五日 玉蘭荘十九周年感謝礼拝にて)

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