張塇爐老師を偲んで 張阿霞--121号

尊敬する張宣爐先生がかねてより御病気のところ、遂に御逝去との御訃報に接し、人の命程はかなきものはないと、無常の世をしみじみ感じ、何人も免れぬさだめと知りつつも、悲しく惜しまれて、せめての慰みは、イエスキリストが救いの主と、先生が信じた事です。永久の生命を得て、今は主のみもとで、安らかな眠りをなさる事が出来たのは、何にもまして最高のしあわせでした。


御夫人様始め御家族の皆様も慰みを得て、どうぞ哀傷のあまり御健康をそこなわないよう、御自愛下さいませ。


思えば誠に熱心なやさしい先生でした。初めて玉蘭荘へ行ったのは、創立十五周年の春でした。先生の習字教授の時間があり、美しいかな表現をマスターしたいとかねがね願っていたので、チャンスとばかり三年の間、先生の朱の筆先みつめながら、まじめに楽しく学びました。先生も皆さんのかなの表現は上手になりましたねと、嬉しそうに言われたお顔が、目に浮かびます。


その上宿題をこなした者には、墨書の短歌の草紙を下さり、それを大切にセロハンの紙に一枚づつ入れ、一冊の本として大事にして、時々出して見ています。社会的にもこの様に貢献なされ、せめて三年長生きして下さることが出来たらと残念です。この世は遺憾はつきもの、これも遺憾の一つです。かなの表現は台湾人の書法家では先生の右に出る方はないと存じ上げておりました。


主にありて世界末日復活の日、我が主にまみえ、ともにお逢いするのを信じております。先生、本当にありがとうございました。安らかにお休み下さい。

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 2503