立ち直った時 鄭連徳牧師 --122号

ルカ福音書 二十二章:二十四~三十四節


 イエスは弟子らと最後の食事。複雑な気持で。


三年も一緒だったが、弱々しい彼ら、誰が一番偉いかと争論、イエスの心がわかっていない。

 やがて、主はペテロを見て、「シモン、シモンよ」と呼びかけた。名つけたペテロ(岩)でなく、本名のシモンで。

アリのママのシモンとして。弟子の代表として。


一 サタンにわたされる

 危険が来た。いや、もう始まっている。サタンが麦のようにふるい落してゆく、始めは軽く、徐々に強く、最後は猛烈に!何故に?それでも愛の神か?

 神の奥義か、神がサタンにゆるされたことだ。

 われらも、いつでも危険、試練、苦難、災害があるだろう。試練は一杯ある、物質第一、名声、面子、霊的貧乏、自我中心・・・など

(例)金銭は万能だろうか?


二 主は祈ってくれる

 サタンに取って、ユダの反逆児と同時に、フワフワした弟子がもっと良い、皆んな落し入れようと。

 だが、イエスは「しかし」という、たとえサタンがどうであろうと、私は!

私が祈り、支え、力となる。

 われらの人生途上で、親が子のため、夫婦が互いに、兄弟同志で、友情で、同族が祈り支える!

 所が、今やイエスご自身が祈ってくれるのだ!

そうだ、われらが弱い時にこそ、主が力となってくれる。

 パウロの肉体に一つのとげが、

それでも、主の恵みが十分

(コリント書第二、十二章八~十節)

弱いわたしたちのために、

  御霊が切なるうめきで祈ってくれる

(ローマ書八章二十六~二十七節)

 主はいつも生きていて、祈ってくれる

(へブル書七章二十五節)

主の恵み、支え、力づけに感謝しよう。


三 兄弟たちを力づけてやる

 立ち直った時には!你回頭以後(和合本)

ペテロの後生涯:復活の主に驚き、喜び、聖霊を受けて立ち、力強い証人となった。伝道旅行では、つまづき、弱かったが、主の祈りはまだ続く。

 最後に、ローマで、悲壮な、立派な逆十字架の死を!

  サタン、試練、苦難-しかし主の祈りがある。

  今後は、自分のためでなく、他人を力づけるように。

キリスト者の特色は、自分ひとりでないこと。

 毎日曜、公共礼拝→から遣わされてゆく。

 他と共にある信仰!他の兄弟を強めるために。

   ここに、新しい使命への決意がいる。

結:残念ながら、ペテロはすぐ倒れ、主を否んだ。
  われらも弱く、躓き、倒れそうになる
  しかし、主はいつでも祈ってくれる!!
  憂いも喜びに、悲しみも感謝へ     
(二〇〇九年一月一二日 玉蘭荘の礼拝にて)

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