立ち直った時 鄭連徳牧師 --122号
editer: 玉蘭莊 date: 2009-08-10 18:32
ルカ福音書 二十二章:二十四~三十四節
イエスは弟子らと最後の食事。複雑な気持で。
三年も一緒だったが、弱々しい彼ら、誰が一番偉いかと争論、イエスの心がわかっていない。
やがて、主はペテロを見て、「シモン、シモンよ」と呼びかけた。名つけたペテロ(岩)でなく、本名のシモンで。
アリのママのシモンとして。弟子の代表として。
一 サタンにわたされる
危険が来た。いや、もう始まっている。サタンが麦のようにふるい落してゆく、始めは軽く、徐々に強く、最後は猛烈に!何故に?それでも愛の神か?
神の奥義か、神がサタンにゆるされたことだ。
われらも、いつでも危険、試練、苦難、災害があるだろう。試練は一杯ある、物質第一、名声、面子、霊的貧乏、自我中心・・・など
(例)金銭は万能だろうか?
二 主は祈ってくれる
サタンに取って、ユダの反逆児と同時に、フワフワした弟子がもっと良い、皆んな落し入れようと。
だが、イエスは「しかし」という、たとえサタンがどうであろうと、私は!
私が祈り、支え、力となる。
われらの人生途上で、親が子のため、夫婦が互いに、兄弟同志で、友情で、同族が祈り支える!
所が、今やイエスご自身が祈ってくれるのだ!
そうだ、われらが弱い時にこそ、主が力となってくれる。
パウロの肉体に一つのとげが、
それでも、主の恵みが十分
(コリント書第二、十二章八~十節)
弱いわたしたちのために、
御霊が切なるうめきで祈ってくれる
(ローマ書八章二十六~二十七節)
主はいつも生きていて、祈ってくれる
(へブル書七章二十五節)
主の恵み、支え、力づけに感謝しよう。
三 兄弟たちを力づけてやる
立ち直った時には!你回頭以後(和合本)
ペテロの後生涯:復活の主に驚き、喜び、聖霊を受けて立ち、力強い証人となった。伝道旅行では、つまづき、弱かったが、主の祈りはまだ続く。
最後に、ローマで、悲壮な、立派な逆十字架の死を!
サタン、試練、苦難-しかし主の祈りがある。
今後は、自分のためでなく、他人を力づけるように。
キリスト者の特色は、自分ひとりでないこと。
毎日曜、公共礼拝→から遣わされてゆく。
他と共にある信仰!他の兄弟を強めるために。
ここに、新しい使命への決意がいる。
結:残念ながら、ペテロはすぐ倒れ、主を否んだ。
われらも弱く、躓き、倒れそうになる
しかし、主はいつでも祈ってくれる!!
憂いも喜びに、悲しみも感謝へ
(二〇〇九年一月一二日 玉蘭荘の礼拝にて)