春のピクニック 余甚足/123号

日ごとに春めいて参り、いよいよ花の季節です。この良い時期に玉蘭荘が毎年行う、今年二〇〇九年春のピクニックは四月二十九日で、場所は三峡の旅でした。三日前の日曜日、私は教会の野外礼拝で雨に出会い、まもない水曜日の天気を気にして何となく落ち着きません。それはあたかも小学時代に胸わくわくさせて遠足を待ちわびている懐かしい思い出と同感そのものでした。

私達の願いに神様はお答え下さいまして、当日は良きピクニック日和で、大家族玉蘭荘の遠出を祝福下さいました。出発前にこの旅を主にお委ねするお祈りを許石枝名誉理事長がなされました。私もお祈りに合せて神様のお守りと、お導きを心からお祈りしました。目的地三峡へ向う観光バスは四十二名を乗せて和気藹々でした。皆で懐かしい抒情歌を唱ってVCDが終らぬ中、約三十分でしょうか、車は三峡の街に入りました。台北と三峡がこんなにも近い事を感じました。いやそれは台湾の道路交通が、こんなにも発達したからなのでしょう。

三峡の第一目的地は徐慕仁先生の石雕館でした。お宅に入ると全体がアトリエで、その上どの部屋もみごとな作品が一杯並べられ、その素晴らしさに皆目を奪われて居りました。雕刻と言えば普通は木彫りが多いですが、ここには銅雕や石雕などもありました。材料はあの硬い銅や石なのに、出来上った作品は形のみならず、曲線と言い、表情や柔らかい感じをも上手に表現した作品ばかりでした。さすがは国立芸専を一番で卒業なさった、優秀で前途有望な徐先生です。御両親は玉蘭荘がお世話になって参りました故徐文治牧師と徐陳貌牧師夫人で、当日も徐牧師夫人は早朝から、わざわざここにいらっしゃって、私達を出迎え、一日中三峡を御案内下さいました。それにこんな大勢でお邪魔しまして、本当に有難うございました。
次は三峡長老教会に参りました。歴史の古い教会とは知っておりましたが、新しい立派な教会でした。教会史を説明頂いて解りました。一八七三年に馬偕博士が台湾の北部に伝道に来られ、その三年後に馬偕博士御自身が、設立された由緒深い教会です。建築物が新しいのは、その間神様の御恵みによって幾度も建てなおされて、現在の素晴らしい教会に至ったのです。三峡教会を離れる際、玄関口で一袋ずつ三峡名物のお菓子「金牛角」を頂きました。毎月玉蘭荘に健康講座に来られる楊安来中医師のお土産でした。その上御夫婦お揃いでお見え下さっているのには恐縮しました。

謂われある教会を後に、皆で三峡の老街を見物しながら、歩いて有名な祖師廟に行きました。道を中央に両側にずらっと並んだ店、色んな品、昔懐かしい物等を眺めながら歩いている中に目的地の祖師廟に着きました。

玉蘭荘の旅遊で廟へ行くのは、お門違いとお思いかも知れませんが、拝むのではなく、余りにも有名なその廟の芸術を参観するが為なのです。有名な台湾の芸術家李梅樹先生が企画設計しただけあって、素晴らしい数々を見る事が出来ました。私が以前家族で来た時に、幼稚園の孫が廟の一つの柱にしがみついて離れませんでした。それは天井から下までの、あの大きい柱の中に雕刻の鳥が何羽あるかを数えていたのでした。それを思い出して、今回私も数えて見ましたが、一本の柱ですら目がくらんで数え切れませんでした。それは一例に過ぎず、本当に素晴らしい芸術で出来た美しい廟でした。
外の清々しい空気に触れ、三峡の景色を見ながら、少し歩いてレストランに向い、私達は四卓に分かれて、昼食を頂きました。お料理の品数や量も多く、楽しい玉蘭荘一家団欒の一時でした。

午後のスケジュールは私の待ちに待ったイベントでした。陳中洲医師のお宅を訪問するこの予定を、楽しみに待ちわびておりました。陳夫人信子さんは私の一期先輩で、女学校時代からピアノがとてもお上手でした。音楽会では人一倍忙しく、舞台で輝く信子さんは私達後輩の「あこがれの君」でした。だからこそ、現在の御家庭では、お子様もウイーン留学の音楽家、お嫁さんもハンドベルの音楽家。そして又陳先生の家業を受け継いで医師も居られ、なんと若い世代までが優秀な御一家ではありませんか。玉蘭荘の大群が遠慮なく押しかけて行ったにもかかわらず、御一家様は温かい眼差しで私達を迎えて下さいました。その上お菓子、果物、飲み物等、万端整えて私達玉蘭荘を招待下さったのを、どの様にしてお礼申し上げるべきでしょう。まず通された広い所は剣道場で、陳医師は台湾でも有名な剣道家との事、さすがこんな立派な道場で鍛練なさる陳医師の武術が伺われます。先に親睦会の始まりとして「玉蘭荘心の歌」を、お嫁さん(鄭麗純老師)の伴奏で二十曲近く唄いました。鄭老師はハンドベルの先生で、来る十月の玉蘭荘二十周年記念音楽会でも演奏をお願いして居りますが、今日は私達の為に先に少しハンドベルの演奏をお聞かせ下さり、咳一つだにしない静けさの中に、何とも言えない神秘な鐘の音色が染渡り、皆暫しその素晴らしい演奏に惹きこまれました。誰もが十月の音楽会へと期待をかけた事でしょう。次は鄭老師の可愛い二人のお孫さんの独唱でした。お祖母様の御指導宜しく、幼稚園児のお姉ちゃんと弟の小さい坊やが「千の風になって」を唄って下さいました。しかも日本語で間違わず、上手に唄えたのでした。さすがは音楽一家でした。クライマックスに入り、主人公の御登場です。武芸で鍛えた陳医師は八十歳代とは思えない軽々しい動作で健康法を色々と御師範下さいました。有難く皆の良き参考になりました。

楽しい時間は過ぎるのが早く、おいとまする時間になりました。これまで、女主人の信子さんは私達の接待で忙しく、私は先輩とお話の時間が取れませんでした。私はお土産にと携えて行った「台北第三高女校友会誌」をお上げして、帰りの挨拶をするつもりだったのが、話が尽きず車に戻った時には、皆私一人を待っていました。どうも申し訳ございませんでした。

帰りはそぞろ疲れを覚えたのでしょうか、目をとじて休んでいる方が、あちこちに居られました。平安な一日を神様に感謝し、私達は楽しい思い出を胸に帰路に着きました。               
(監事)

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