六十年の人生体験 記黄澤南・黄徐淑麗夫妻 /123号

私達夫婦の結婚は、両親の命に従い仲人無しで、二人共満二十一歳の若さで一九四九年一月八日に結婚しました。未だ世間社会上の事に関しては初心者で、恥ずかしい限りでした。でもその年の十月二十八日に、長男が生まれました。初孫が男の子で両親から大変喜ばれ、いつも可愛がられました。隣近所の人からも可愛がられました。そして又翌年にはとても綺麗で目がパッチリした長女が生まれ、その後も続々と二年に一人の割合で(犬が子を産む様に)十三年間で合せて二男四女(計六名)の子宝に恵まれました。

その子供達が結婚後、内孫外孫合せて十一名(男九名女二名)に恵まれ、四年前の二〇〇五年一月に、アメリカ生まれの曾孫(女の子)が出来て、今は曾爺ちゃん曾婆ちゃんになり大家庭です。

光陰矢の如く、昨年私達夫婦はやっとの事で八十路の坂に辿り着き、満八十歳の傘寿の年を迎えました。子供達(息子や娘)が私達の八十歳傘寿の祝いに、小さなレストランで宴席を設けて、家族や親友達を招き、玉蘭荘の方々の幾名かもお祝いに参加して下さり、高俊明牧師様主持のもとに誕生祝の祝禱をして頂き、満場華やかな宴で、皆様からの祝福を得て、とても平安な夜でした。参加下さった玉蘭荘の方々に、改めてお礼を申し上げます。

そして今年一月八日に、私達夫婦は結婚六十周年(ダイヤモンド婚)を迎えました。その日は家の中で簡単に、家族の者が手料理を作ってお祝いしてくれました。さる六月一日に、私達夫婦の為に玉蘭荘で結婚六十周年のお祝いをして頂き、一緒に祝って下さった皆様に感謝で一杯です。心よりお礼を申し上げます。

思い浮べますれば、私達夫婦の結婚は両親の取決めです。妻淑麗は私の母親の里の親戚で、二人は幼い時は何も知らず、淑麗はとても素直で淑やかで心も麗しく、洋裁や家事が上手な為に、私の両親が気に入り、自分の娘のように可愛がって居りました。それで早速自分勝手に息子(私)との結婚を決めたのです。終戦当時は物資不足で何も買えず、私達の結婚用の掛け布団や敷布団のカバー、蚊帳、寝巻き等は皆淑麗が自分で作った物でした。又当時自分の産んだ子の産着やオムツも自分で作り、特に長女が学校へ行く着物も、(当時は学生服が無く)自分で仕立てて着せ、担任の先生や同級生からも、とても綺麗と褒められました。私の店の商売は、主に漁船の船舶用品造船材料、輸送船、貨物船用のワイヤロープの吊り具等を販売して居りました。商船用の国際信号旗や救命衣等も、妻の淑麗が店の家業を手伝って自分で作り、私の店の仕事に助力してくれました。時には、漁船の船長(主に日本人の船長が多く)や船会社の社長が船の大漁祝いに私を招待し、又出港の日も出港祝いと、いつもの宴会に私を招待し、その翌日は私が船長達を招待すると言った、招待したりされたりの付き合いが多く、夜遅く帰る時がありました。妻の淑麗はこれが店の商売上の接待と知って、愚痴一つも漏らさず、只々子供の教育や家事に専心し、朝の食事、通学の着物や靴を綺麗に整えて、学校へ子供達を通わせました。

私達が六十二歳の時に、店の商売は長男に任せリタイヤ状態で、五月一日から二十六日間の欧州旅行(十七カ国を駈け巡る走馬灯の如き旅行)をしました。特に思い出す事は、最初の日はエジプト古跡参観、駱駝に乗ってピラミッドの傍迄行き、中に入っての参観から、ギリシャ、スペイン、アテネ、イタリア等、特にドイツからのハイデンブルグ大学へ行く途中でローレライを通過しました。昔の伝説に、美しき乙女が岩に立って、黄金の櫛で髪の乱れを梳きつつ口ずさむ歌声に舟人達が惑わされて、浪間の渦巻に巻かれて沈没したとのガイドの説明、その航路が逆流で水かさも多く、とても危険なので、船長も用心深く船の汽笛を鳴らしながら舵を取って居り、両岸の景色も壮観でした。それが良き想い出でした。最後は又英国フランスから北欧に行き、帰りはオランダのアムステルダムの空港から帰国、五月二十六日に桃園空港へ到着。一寸疲れていたので、高雄へは帰らず台北の中山北路に長女の家が一軒空いていたので、そこに泊る事に決定。これが私達の台北での生活の第一歩でした。
そして翌年(一九九一年)三月二日に台安病院所属の基督復臨安息教会において、蘇東峨牧師より洗礼を受けて、初めてのクリスチャンになりました。

一九九九年五月、愛の船、金婚旅行ツアーの募集があり、五十周年金婚の者には特に一萬元安くするとの優待がある事を知り、弟夫婦と同窓生約十名が、私達と一緒に参加しての愛の船(ラブボート)でロッキー山脈、アラスカ航海の船旅へ出掛けました。ロッキー山脈へチスバ国家公園とパンプ公園、ルイズ湖等、雪景色がとても綺麗でした。特に超大型の雪車バス、その車輪が人の高さもあり、運転手がカナダの女性で、雪の谷崖を降り、千年以上も溶解していないコロンビア大氷河を降りて、そこで記念写真を撮りました。大変冷たかったのですが、防寒着を着てマスクも付けていたので、余り冷たさを感じませんでした。その後はバンクーバーより五万トン級の豪華愛之船(ラブボート)に乗り四日間の海上生活、アラスカ湾を巡りました。海上は藍天碧海の静かな波の航海、氷山が沢山見え又氷山の落氷するのも、はっきり見えました。船の傍らには海豚が群を成して、私達の船と併行して泳ぎ、時には一頭の鯨も見えました。船上の生活は朝晩二十四時間の食べ放題、水泳プールもあり、夜は劇場にてダンスのショーも見られ、最後の夜は船長の歓迎パーティーで皆が正装にて参加、とても豪華なパーティーでした。
このような素晴らしい金婚旅行の帰路は、バンクーバーよりアラスカを経て北極回りの飛行機で空路六月二日に桃園空港に到着しました。

この様に私達夫婦は金婚旅行から今度は又六十周年のダイヤモンド婚を健康で平安無事に過して来ました事、偏に主イエス様、神様の御恵みの賜物と有難く感謝致します。『感謝主』

玉蘭荘の皆様も益々御健勝でご多幸でありますように、百歳以上までも、皆で頑張って行きましょう。玉蘭荘が益々繁栄して行きます様にお祈り致します。最後に玉蘭荘の皆々様に厚くお礼申し上げます。             

(会員)

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