結婚六十周年を語る 張明徳/123号

僕達は一九四八年四月三日に夫婦の契りを結んだ。歳月人を待たず今年結婚六十年を迎えた。

当初妻は片田舎で二年間、慣れない農家の主婦仕事によく耐えてくれた。二年後に僕達は台中市に転勤した。多忙な毎日が続いた。僕は教職に勤しみ、妻は主婦として子育てに明け暮れた。その間に副業の裁縫、商売を兼ねて多忙な生活が僕たちの青春時代の思い出となった。四人の子女はそれなりの教育を受け、卒業後は就職し結婚して離れて行った。一九七二年に台中から台北に引っ越して来た。親としての任務はまだまだ続き、今度は孫の世話をするため、台北・高雄間を往復したり、アメリカに飛んだりして、ラグビーボールの如く子女から歓迎された。忙しい歳月が過ぎて、やがて老いの日が訪れきた。

これからの人生をどう暮らそう?あくせくした暮らしは止そう!リタイヤ族が公園や家で、ひねもす時間を持て余しているのを見る毎、聞くごとにそんな晩年は送りたくないとつくづく思った。
僕たちは生来の苦労性で、じっと家にいて新聞、テレビに余生を過ごすのは時間の浪費だと思い、退屈をしのぐ術(すべ)を知らないのだ。何か有意義な人生を求めたほうが、毎日が満ち足りて、自分たちの健康にもプラスだと思った。

 神様は僕達に社会奉仕の機会を与えて下さった。一九九三年の春、ふとした縁で玉蘭荘の活動に参加して爾来十六年間、ここを老後のスイートホームと思って過ごして来た。

光陰流水の如く歳月は一年、一年と過ぎて行く。何時の間にかヤソジの坂を越えて、晩年が知らず、知らずの中に忍び寄ってきた。
  僕たちはここで共に語り、歌い、学び、牧師の説教に人生の安らぎを求める多くの友達を作った。タイプライターを見たことさえなかった自分が玉蘭荘の計画表、文件、記録などの他に、中、日文の随筆を作って多くの支援者に贈り、玉蘭荘の発展を促したのは神様の導きによる。頭脳を使い老いの訪れを遅らせたと僕は喜び感謝している、悔いのない人生でもあった。神様に健康を護られ、有意義な晩年だと満足している。

ワイフもボランティアをずっと続けて来た。歳が多いから他人に任せて、余生をのんびり暮らせと幾多の良友に言われるが、「私は未だ働ける、健康の証だよ!」と頑(かたく)なに粘ってスープ当番、掃除仕事やバザーの準備に余念なく続けてこられたのは奉仕の賜物であるのだ。

今後も夫婦ともどもに老骨に鞭(むち)打って頑張る心算(つもり)である。              

(常務理事)

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