天安門からゴルゴタへ ―張伯笠の回心― 郭維租/124号
editer: 玉蘭莊 date: 2010-01-21 11:14
一、天安門広場の惨劇
六月三日、二十万の大軍は戦車、装甲車先導の下に、深夜一斉に広場に雪崩込んだ。戦車に蹂躙され、機銃掃射を受けて、広場は一瞬にして血肉とび散る修羅の巷と化した。学生達は逃げ走りながら負傷者を病院に搬送した。随所に炎が上り、証拠隠滅の為、遺体の焼却が行われて居たとの事。
当局は一人も死者は出て居ないと言うが、信じる者は無い。一般には死者二、三千、負傷者数千人から一万人と言われて居る。
かくて二ヶ月近くにわたり,数十万の学生が官吏の腐敗と横暴を糾弾し改革を要望して来た運動は挫折し、武力鎮圧の下に学生は命からがら四散した。主要なリーダー二十一名に逮捕状が出され、顔写真が至る所に貼られた。そして間もなく三分の二は逮捕され、少数の者は辛うじて逃れた。欧米亡命である。
二、張伯笠の奮闘と逃避行
彼は東北(満州)出身。黒龍江の近くに生れ育ち、大学で文学部に学び、卒業後新聞社に入って記者と編集を数年経験した後、同業の妻と四歳の娘を山西省太原に残して、北京大学文学部の博士コースに進んだエリート。
天安門広場の学生運動では、吾爾開希、柴玲等と共に主要なリーダーとなり、副司令、民主大学校長等の要職を担当した。当時二十七歳。妻が心配して太原から駈け付けて来た。
武力鎮圧を受けて、群衆は多大の犠牲を出して四散、運動は挫折した。主要なリーダーに逮捕状が出され、顔写真が至る所に貼られ、身辺に危険が迫った。友人が自転車を提供してくれ、妻と共に急いで、燃え盛る広場に後髪を引かれる思いで、何度も振り返りながら、遠くへ遠くへと逃れた。数日間はむしろ動かずに、かくれて居る方がいいだろうと、或る友人が庇まってくれた。
その後、慎重に周辺の情況を伺いながら脱出を計画。先ず泣きすがる妻をなだめすかして、押しもどす様に太原の家に帰らせた。危険な逃避行に、夫婦づれでは目立ち過ぎる。
思案の末、足は故郷の黒龍江に向った。方々の親戚を頼って行くのが一番自然である。汽車やバスを乗り継ぎ、公安の目をかすめて、やっと遠い親戚の家にたどり着いて、ほっと一息。さすがは人情に厚い田舎、何年も御無沙汰して居るにも係らず、温かく迎えてくれた。所が困った事も有る。素朴な農村の事とて、子供達が学校で「うちにはスゴイ親戚が来て居る。天安門事件で学生リーダー、副司令まで勤めた偉い人だ!」と誇らしげに語り、大人までついつい「何たる世の中だ!国を思い民の為に、腐敗官吏を糾弾した正義感の強い好青年が、叛逆者として指名手配を受けるとは!」と不平を鳴らす始末。これでは一個所に何週間も居られない。こうして何個所も親戚の家に庇って貰ったが大同小異、間もなく一帯に知れわたってしまうのであった。
三、老婆とヨハネ福音書
ある親戚の家に庇まって貰った時の事である。親戚の老婆が本当に温かく迎えてくれ、親身に世話をしてくれて、感激で一杯であった。ある日、その婆さんが改まった口調で彼に言った。「伯笠や、一つ大事な事が有って、是非聞いて貰いたい。」何かといぶかると、一冊の小冊子を出して「是非これをよく読んで、主を信じて貰いたいのだ。」見ると「ヨハネ福音書」の分冊である。「どの主を信じるの?」「勿論イエス様だよ。お前にとっても、一番大事な事は、イエスを唯一の主として信じる事だよ。」
他ならぬ、こんなに愛に満ち、親切に世話して下さって居る婆さんの改まった要請なのだ。勿論すぐに、「はい、よく読んで、よく考えて見ます。」と答えた。
全く晴天の霹靂!辛うじて字が読める程度の僻地の婆さんが、北京大学のエリート青年にヨハネ福音書を読む事、そして主イエスを信ずべき事を教えたのである。これはエペソに来たアレキサンドリア出身の優秀な伝道師アポロに対して、パウロの弟子、平信徒プリスキラとアクラが、イエスの福音を説いたのに匹敵する事では無いか!
開巻一番、「初めに言(中文訳は道)が有った。言は神と共に在った。言は神であった。」正に雷の子が下した雷鳴の如き断定。そして更に「言は肉体となり、私達の中に宿った。私達はその栄光を見た。それは父の独り子の栄光で、恵みと真実に満ちて居た。」
彼はその権威と威厳に圧倒された。これは何たる事!従来無神論、唯物主義の教育を受け、心の片隅に何がしかの違和感を持ちながら此所まで歩んで来た。そこへ今度の大事件!この国は何処か間違って居る。狂って居る!
彼の空虚な心、乾き切った魂に、イエスの福音を受け入れる素地は準備されて居た。彼は引き入れられる様にヨハネ福音書を読み、その深い真理の言に感動した。そもそも文学を学び、哲学の素養のある彼に、ヨハネ福音書は適切であった。神様の導きは懇切で、福音は徐々に彼の心にしみ渡った。
天来の平安をもたらす門は北京の故宮には無く、ゴルゴタの十字架にある事が段々に分かって来た。古の皇帝が理想として、象徴として命名した北京の天安門は、実際上は権力者に悪用され、天に逆らい民を圧迫する口実になって居る。真の救いは十字架にあるのだ、神の独り子の血による贖いにあるのだ。学生運動も若者の情熱の自然の成り行きであったが、それとても真の救いに至る道であるかどうか、すこぶる怪しい。
こうして彼の心に福音が徐々に滲みわたった。しかも全能にして慈愛の神は、次々に奇蹟の手を伸べて彼をお救いになった。
四、奇蹟的脱出
数ヶ月間転々と親戚の家に庇まって貰った後、遂に雪深い無人の黒龍江畔に二年近く孤独の生活をする事になった。短い夏の間に米や藷を作り辛うじて生活が出来た。魚も釣った。
数ヶ所の親戚の家に居た時にも、何回かゾットした事が有った。突然公安が現れて、今度こそは駄目だ、監獄行き、悪くすると生命を失うかも知れぬと覚悟した。所が何と!公安は和やかに「心配するな、味方だ!君の事を聞いて、会って見たいと思って来たのだ。」と言うでは無いか。北京の一般情勢、学生運動の事等、暫く話し合って帰って行った。こんな事が何回も有った。
最大の危機が三回有った。
1 現代版の勧進帳
ある時、親戚の若者の牛車に乗って、畠の農作業の手伝いに出掛けた。所が、少し大きい道に出た時、前方に臨時に検問所が設けられ、車や人が列を作って検問を待って居た。これはまずい!臆病な若者は、すぐ牛車を返して細い道に避けようとした。「おっと、それはもっとまずい!もっと怪しまれるに決って居る!直進あるのみ!」あわてて止めた。所が、根が正直な田舎者、若者は全身ガタガタ震え出した。「よし、牛車は僕が御す、君は荷台で横になれ!」と言って毛布を掛けてやった。
何と言っても、そこは天安門で学生の群衆を指揮したリーダー、牛に鞭を当て続けて、列に並ばず一目散に検問所へ!「こら、何処へ行く?検問だぞ!」「急病人だ、すぐ通してくれ!」見ると、荷台に毛布にくるまってガタガタ震えて居る患者。急病人、間違いなし!「よし、すぐ通れ!」古の弁慶の勧進帳そっくり!臨時の検問所は、張伯笠を目標にしたと見るべきであろう。百姓姿で日焼けした人が、学生運動のリーダーとは見えなかった事も十分可能性が有る。然し薄々それと気付きながら、知らん顔して見逃した可能性も無いとは言えない。何しろ、同郷の英雄なのだ!助けろ!
2 ソ連へ脱出
厳冬の黒龍江は厚い氷に覆われて居た。その上に雪が降り、行けども行けども白い雪また雪。体が段々冷えて来た。何時間も歩き続けて疲労の極に達した。これでは凍死あるのみ!暫くして遠方に何か高い物が見えた、やっと近付くと、マグサの倉庫らしい。やっとたどり着き、マグサの山にもぐり込むと、死んだ様に眠ってしまった。何時間たったか知らないが、目が覚めた時、ソ連の前哨基地で情報官から取調べられて居た。倉庫に週一回マグサ取りに行く工人に発見されて連行されて来たのだ。凍死の寸前であった。数少ない所持品を調べられ、スパイ容疑無しと判断され、そのまま、又中国側に追返された。
3 米国へ脱出
黒龍江畔にもどり、遠からぬ小さな村に買物に行き、民宿に居た時、突然一人の女公安が現れた。今度こそ駄目かと思ったら、にっこり笑みを浮べて「心配無用、味方だよ!」と言うでは無いか。大学の友人に頼まれて、わざわざ彼を助けに来たとの事。彼女は、彼に姓名を変えて一緒に遠い田舎に行ってはどうかと持ちかけた。その好意には感謝するが、只生きるだけではつまらない。矢張り民主自由を求めて一路邁進あるのみ!彼女はすぐ了承し、香港から米国へ脱出するのを手伝ってくれる事になった。しかも、彼の希望通り、母と娘にそっと会わせてくれた。妻は連日彼の行方を訊問されて心身共に疲労困憊、遂に強迫されて離婚を声明。是非一度会いたいと言ったが、女公安は、「それはまずい、飛んで火に入
る夏の虫だよ!」と言い、その代り義父にそっと会わせてくれた。訣別の挨拶!そして香港から米国へ脱出する手筈も、すべて調えてくれた。そして遂に脱出に成功した。彼女の全面的援助なくして米国に脱出する事は思いも寄らぬ事であった。全く感謝感激!妻とは既に強制的に離婚させられて居る。彼は彼女に、一緒に米国に行かないかとさそった。彼女は顔を左右に振って、「私はこの国を良くする為に、あなたの様な人を助ける事を続けたいの。」と言った。何と頼もしい事!神様は、こんな人を随所に備えて下さって居る。この国も神の顧みの中にあるのだ!
五、新生活
ロサンゼルス空港に着くと、ちゃんと出迎えの人が居るでは無いか!暫く御好意に甘えて、その方の家に御世話になった。この方は台湾から来て居り、二十数年前台湾の人々が中心になって設立した中華教会に属して居た。すぐ教会につれて行ってくれ、一同に温かく迎えられた。
勿論すぐ故郷の老母に電話を掛けた。母は戸惑いながら「伯笠や、本当にお前だね。」と確かめると、おいおいと泣くばかり…。夢では無いか?本当に米国に脱出する事が出来たのか!「ママ、友人の家で長距離の国際電話かけて居るのだよ。余り時間かけると具合が悪いよ。泣いてばかり居ないで、早く話して!」と言う事で、やっと、「それでお前、生活はどうしてるの?」「大丈夫、心配無用!神様が助け手を用意して下さって、万事お世話になって居る。ママも信徒の群に入り、主を信じなさい。」「どの主を?」「勿論イエス様だよ、唯一の真の神だよ。」「ああそうか、その様に心掛けるよ。」教会で
信仰を学び、兄弟姉妹の交わりの中で主にある友情を
体験して、彼は新しい生命に再び蘇る思いであった。
遂に召命を受けて東部の著名な神学校に入学、卒業
後首都ワシントン郊外の中華教会を牧して居る。去年
夏、ロサンゼルスに来て、かつて世話になった中華教
会の退修会を受持って下さった。
神の御名は誉む可き哉!
二十年来の奇蹟は永遠に我々の胸に刻まれて居る。