インマヌエル:神我らと共にいます 蔡仁理理事長/125号

マタイによる福音書一:二十三「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

クリスマスおめでとうございます。十二月の上旬から街のデパート、レストラン等でクリスマスを祝う歌声やメロディーがにぎやかに流され、クリスマスセールがあっちこっちで催され、賑わって嬉しい気分が盛り上りを見せています。台灣だけではなく全世界がクリスマスを祝う喜びで充ちています。 何故全世界がかかるムードに入るのでしょうか? それはクリスマスが全人類にかかわる祝うべき喜びの日であるからです。イエスがお生まれになったクリスマスの日が、全世界の人達に幸い・喜び・平和・新しい望みをもたらしたのです。

ルカによる福音書 一:七十八~七十九
「これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。」

(一) 神の愛:イエスの誕生に於る謙遜
いまだかつて、神を見た者はいません。神の子イエスキリストのみ、この世の創造者であられる万能の神を世の人たちに示
されました。(ヨハネによる福音書一:十八)即ち神樣自身がキリストの誕生という奇蹟によって、この世に自分を現わし、その無限大の愛を示されました。キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた。人間の姿で現われ、へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで從順でした。(フィリピの信徒への手紙二:六~九)
私達が、福音書に於るクリスマスの経緯 (ルカによる福音書二:二十一) を読むと、それが神の子の誕生とは考えられない貧しいひそやかなご誕生の狀態でした。
宿は断られ、馬小屋を借り、揺りかごもなく布にくるんで、飼い葉桶の中に寢かされ、訪ねる人は貧しき野辺の羊飼いだけでした。なんと謙遜なお姿でしょうか?神の大いなる愛でありましょう。我達の救い主、人間の友、貴きも卑しきも隔たりなき主が、この世に下りて我らと共に現在された喜ばしき日です。諸人(もろびと)こぞりて迎えまつれ、全世界のお祝いすべき日です。

(二)インマヌエル:我らと共におられる神
インマヌエル-その意味は神我らと共にいます。歷史の主、貴い神樣が今私達と共におられる。これはなんと素晴らしい嬉しい事ではありませんか?私達を愛し、共に働き共に支え慰め励まして下さる神の同在、何と心強い頼りがある人生ではありませんか? そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。(ヨハネによる福音書一:十四)クリスマス此の日こそ、神さまがイエスを通じて、この世に眞理の光と救いの望み、新しき生命を与えて下さつた良き日です。
キリストが世に降った事により、この罪に覆われた暗黑の世界に、まことの光が照り輝き、絶望の中にある世の人に救いの道を示し、神が罪を赦して、神の子となさしめる惠みを与えました。

ヨハネによる福音書一:十六「わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。」

(三)イエスの誕生は世界新世紀の始まりです。
今年は二〇〇九年、この世界歴史の紀元年代は何を規準として定められたのでしょう?それはイエスのお生れになられた年から計算したものです。いわゆる紀元前は(BC before Christ)を年代とし、その後は紀元一年(AD. Anno Dominiラテン語、主後)即ち、イエスの誕生を世界の歴史紀元として用いています。新しき価値と新しい生命の意義をもたらしました...キリストにより、この世界に新紀元が始まり新しい希望をもたらしました。
クリスマスの時こそ、私達もキリストを心に受け入れ、心も志も新しく変えられて、新しき人生の道を歩みましょう。

コリント人への第二の手紙 五:十七
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(口語訳)」
クリスマスおめでとうございます。この佳きおとずれを多くの人達に分け与えましょう。神が今皆様とともに在りますように!
* 聖書の引用は、表示以外すべて新共同訳です。
  

(二〇〇九年十二月二十一日 クリスマス感謝礼拝より)

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