祝 玉蘭荘創立二十一周年を/蔡仁理理事長-(128)

二十一周年感謝礼拝
「老いたりともビジョンを」


昨年の創立二十周年の盛大な記念音楽会のミュージックの余韻が耳に残っているところ、もう去る七月末の理監事会議で、この九月十三日に二十一周年の記念感謝礼拝のメッセージの準備を頼まれて、本当にあっと言う間に月日が経ち、その速さに驚きをひしひしと感じさせられました。

今日、皆様と共に私達の玉蘭荘が創立二十一周年を迎えるに当り、もう一度創立の主旨と私達シルバー族のあるべき生き方を簡単に省みたいと思います。


私達の今住んでいる台湾も、既に数年前から高齢者社会に入り(即ち六十五歳以上の人が総人口数の七%を超える)、今二〇一〇年現在一〇.三%に増加し、二〇〇八年には平均寿命が七八.三八歳(男:七五.四六 女:八一.七二)。因みに去年本荘活動参加者(約七〇名)の平均年齢が七八.八歳という事実は、玉蘭荘の奉仕として見逃せない重要な事と考えさせられます。

今日の経済社会の発展、栄養の増進、医学衛生の進歩、生活の向上に伴い人間の寿命が古来の所謂「人生七十古希の齢」の域を突破して人生は八十からという説が盛んに言われています。世界叉は一般社会、教会でも既に斯かる変革に敏感に反応して高齢者への教育、健康、社会生活、住居、精神慰安、レクリエーション等の奉仕とマーケットに進出し多くの成果をもたらしています。


玉蘭荘も過去に於いて台湾の特殊な歴史事情に基づき、ここ台北にて少数ですが日本語を必要としている人達が集って語り合い、交わり、共に歌い学びの時を持ち、人生問題を分ち合う、愉しい憩いの場を提供し奉仕を続けて参りました。


二十一周年の創立記念に当り、この二十数年来神様の豊かな恵みと御導きにより、そして多くの人達の愛の努力と献身、多くの弛みなきお働きのボランティアの方々のご奉仕や、国内外有志の献金に支えられて、この玉蘭荘が多くの困難の中で今日まで運営して来られた事を心から深く感謝致しましょう。


聖書のみ言葉「終わりの時に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたたちの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒言行録二章:十七節)老人も夢を見る:︹聖書では夢と幻と共に︺将来来たるべき︹神の望みの実現のビジョン︺の意味として捉えられています。即ち老いたる私達にも、豊かな生きる夢(ビジョン叉は希望)を神様が与えて下さり、もっと前向きな積極的姿勢で生き通す事が出来るように励ましています。


(一) 感謝と望みに満ちた日々

長寿はめでたい、そして楽しい。私達は前代の人達に比べて何と三十、四十歳も余分に生かされる時代に住む特権を与えられました。昔から人々が願っていた︹長寿︺を私達がエンジョイしているのです。生活の改善、医学の進歩、そして多くの新しい器具の発明による補助に依る︹若さ︺の回復、例えば老眼鏡、補聴器、義歯。美容により若く見せる工夫等と長寿にして不老、私達の信仰による楽観主義も加え、益々生かされている喜びに感謝するべきではありませんか?若し私達が毎日を、老いは厭な事苦しい事だ、仕方ないと思い込んで生活すれば、私達の余生は虚しく生を無駄にする事になります。人間の幸せは、只物財の豊かさに頼るのではなく、心の豊かさと満足の大きさで決まると云われています。


「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」

(テサロニケの信徒への手紙一 五章十六~十八節)


(二)返老還童(子供の如き素直な心を取り戻そう。)

「(神さまは私達老人に)長らえる限り良いものに満ち足らせ 鷲のような若さを新たにしてくださる。」(詩編一〇三編:五節)鷲が大空を飛翔する雄々しい逞しさは若さの気勢を表わすもので、老いたりとも若々しく生きて行く逞しさを持ち続ける事が出来ます。

台湾語で︹老人成細子︺(年老いたれば子供の如し)の意味は、お年寄りは子供の様な単純さを持つべきです。子供の特性は単純、率直、素直な心が特長であり、天真爛漫、生まれつきの素直な心を言動に表す、包み隠さず自然のあり方です。老人はその長い年月経験蓄積された知識があり、世慣れしていますので、通常は頑固執念を通す事が多く、また押しが強い事で一目是認されています。ですから、益々素直になりきれません。


キリストの教えの中に、︹人は子供の如くなれ︺「はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」(マルコによる福音書一〇章:十五節)老人の個性は、頑固、古いものや意見慣わしにこだわり、変化を好まず、自分の過去の歴史に執着します。ですから、もっと自由に心を広めて、論語に云われている如く「人生七十にして心の欲するところに従いて矩を踰えず」時間のペース、お金の余裕の許す限り自由に好きな事、読書、スポーツ、カメラ、散歩、旅行、参観見聞、趣味のある会、協会、教会の交わり、友だちとの訪問、食事会、玉蘭荘の交わりに、新しい語り合いの時の友を持つ事などなどと、愉しく生きましょう。


素直な心を持ち続けてすべての事に向うと、人生のすべてがスムーズになると、成功した日本の偉大な経営者松下幸之助氏が語り、多くの人に尊敬されている聖路加国際病院の日野原重明理事長は、九十九歳の今でもお元気で活躍されています。先生が台湾の輔仁大学でご講演なされ(二〇一〇年三月三日)、「活得久、活得好、老得慢」(長く、愉しく、衰えず)と高齢者を励まされた言葉が印象深く、心に残るお話でした。


(三)常に永遠の思いへ。時から永遠への望み(永遠の世界へのビジョン、望みと憧れを持つ事)

私達は人生を考える時、現実として時間のさなかで生かされている事実は否定出来ません。然しながら、この時(時間)は絶え間なく過去の世界へ過ぎ去って行き、そして再び戻って来ません。昔信仰の人アブラハムは、斯かる人生を故郷を離れたよそ者であり、︹ 仮住まいの者︺、この世で自分の真の故郷を探し求めていると喩えています。

「彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は彼らのために都を準備されたからです。」


(ヘブライ人への手紙十一章:十六節)

「このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。」(ヘブライ人への手紙十一章:十四節)「わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来たるべき都を探し求めているのです。」(ヘブライ人への手紙十三章:十四節)聖書は、永遠への生命のビジョンを忘れるなと教えています。

 

有名なへミングウェイの小説︹老人と海︺の映画で、一人の老人が今まで漁に携ってきた中で、最も大きな獲物だったカジキマグロが釣れて、老人とカジキマグロとの文字通りの︹死闘︺の明け暮れだった事を描いたものでした。


本書の読みどころは︹老人とカジキマグロの四日間に及ぶ闘い︺と︹老人とカジキマグロとの会話︺です。四日間もの間、小さな漁船で高波に浚われながらも釣り糸を離すことなく、一人巨大なカジキマグロに挑み続ける老人の孤独な闘いの圧倒的な描写は、すごく緊張させられました。その四日間、老人は船上でカジキマグロと闘いながら色々なことを考える。彼の人生を振り返るには四日間というのは十分な時間だった。人は何か大事を成し遂げる際、︹この願いが叶えば何でもする。︺という気になることがあるだろう。そして四日目、遂に老人は巨大な敵に勝ったのだ!十八フィートもあるカジキマグロを相手に一人の老人が勝ったのだ。老人にとって巨大なカジキマグロとの闘いは崇高なものだった。その闘いが人生の全てに等しかった。四日間対峙した敵を船に括り付け帰港する間、色々なことを思ったに違いない。帰港中カジキマグロの血の匂いを嗅ぎ付けた鮫の大群に殆ど半分以上食い荒らされてしまうのだ。カジキマグロとの死闘の後に、老人に残された体力は幾許もなく、港に着いた時には︹カジキマグロだったものの残骸︺が船尾にあるのみだった。


老人は言った。I am an oldman but I have done it. (私は老人だ。しかし私はやり遂げた。)と勝利の声を上げて叫んだのです。


私達の老いたりし人生も、常に闘志に満ちた前向きな努力を捨てずに、来たる望みの故郷へ勝ち誇る姿で帰りましょう!


(*引用聖書のみ言葉はすべて新共同訳を使用)

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