本年もよろしく お願いいたします。/蔡仁理 理事長-(129)

玉蘭荘スタッフ一同

新年のご挨拶

明けましておめでとうございます。一言新年のご挨拶を申し上げます。


昨年、数々の領域、殊に経済、政治、社会、国際関係等に於いて、私達の住む世界は色々と危機や波乱に充ち多難な年でしたが、幸いにも時の流れの内に無事過ぎ去り、二〇一一年(新しい年)を迎えました。斯かる危ぶまれた多くの局勢をも、乗り越えられました事を神の惠みとし、感謝して新しい年を迎えましょう!


聖書の御言葉に「神を愛する者たち
、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(ローマの信徒への手紙  二十八節)」と言われています。すべての時は神がお与え下ったのです。


昔の詩人は人生を旅人或いは巡礼者に喩えて歌い、そこで彼らが旅路に於ける多くの出会い、楽しみ、苦しみ、寂しさ、失望、憂鬱、傷つき、落胆、虚しさ、等を遍歴しつつ歩む姿を描いています。「御覧ください、与えられたこの生涯は僅か、手の幅ほどのもの。御前には、この人生も無に等しいのです。ああ、人は確かに立っているようでも、すべて空しいもの。ああ、人はただ影のように移ろうもの。ああ、人は空しくあくせくし、だれの手に渡るとも知らずに積み上げる。主よ、それなら何に望みをかけたらよいのでしょう。わたしはあなたを待ち望みます。(詩編三十九編六~八節)」と。過ぎ去りし年を省みると、それは私たち自身の実態を現わしているのではないでしょうか?それも短い、そして平穏無事とは言い難い日々が多い年でした。


私たちが時間を問題にするとき、どれだけの時間があるかより、どのような時間であるかに深い関心を寄せます。量よりも質の時間を私たちは求めていると言えるでしょう。それなれば人生は量の多さより質の豊かさを問わなければ意義がありません。ですから私達は苦しい憂鬱な現実生活の中にあっても、豊かに楽しめる信念を持ち続ける楽観的信仰の望みに活かされる事を必要とします。


昔の巡礼者は「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。(詩篇八十四編十一節)」と、神の恵みの中での一日の豊かさは、世の千日に勝る価値があると言い表されています。それは、神様が私
たちの苦しみの中の拠りどころであり、支えの御力でもあります。電車やバスで赤ん坊が母親に抱かれて眠っている姿を見るのは、なんと心温まる光景でしょう。もちろん車が揺れ、急力―ブで胸に抱いた子供が何かの拍子で落っこちる危險にさらされるかも知れません。にもかかわらず、赤ん坊はすやすや寝入っています。愛ある母に凡てを委かせ切った安心した子供の姿がそこにあります。その様に来たる二〇一一年は私達にとって未知の時、未知の世界です。


願わくは来たるべき年に
神様が「あなたは豊作の年を冠として授けられます。あなたの過ぎ行かれる跡には油が滴っています。(詩編六十五十二節)」如く私達の行く新しい人生の旅路の上に豊かなる平安と惠みをお与え下さる様祈りつつ

皆様、新年御目出度うございます!

(聖書はすべて新共同訳を使用)

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 1961