許石枝 様/沼口笙子(日本支援者)-(130)

再見する事なくこんなに早く、私が敬愛します兄とも想いお慕いしていました許石枝様と永遠(とわ)にお別れの日がおとづれようとは、神ならぬ身の私には何としましても、許し難い訃報で御座いました。


私が折りに触れ想い起こしますのは、「美食の九份」離れ難い生まれ故郷から無情にも、見知らぬ日本の地に送り帰された。

「湾生の悲哀」言わず、語らず、それなのに、思い遣り豊かな石枝様のお優しい心、労りは辛い別離の悲しくも、懐かしい、基隆港を一望に見下ろされる山に案内して下さいました。


「悲哀の思い出は過去の棚に納めて、此れからは前向きに新しい友情を育てましょう。」と「さーらーばー台湾よ!!」の十八歳の春に別れさせて下さったのは石枝敬兄でした。


其の時、少年時代の苦しい思い出の金山に登り「台風後の川で金を捜しては、生活の足しにとお母様に差し上げられた」事等をお話しされました。


「人間どんな境遇でも、前向きに努力する向上心を胸に抱いている限りは、前途は明るく輝きます。」と仰言しゃったお言葉は、以後私の『座右の銘』にさせて戴いてます。想い起こせば、菊野様が石枝様をご紹介して下さったご縁で、素晴らしいお方と知己になりました事は私の一生の宝になりました。


菊野様に感謝いたします。


石枝お兄さま、天国で再会されましたら、野田さま、呂敏さまに沼口が宜しくと申しておりましたと、お伝え下さいませ。


「久々にテープ(呂敏さまの)を聞いています」と。


幾久しくも、天国のお兄様のご冥福とお幸せをマリア様にお願いしまして。


ミッチェル神父様とお祈りしてました。


いづれ天国でお逢いするまでご機嫌よう、此れにて沼口の送別の言葉とします。


石枝お兄様に捧げる。


海を越え、遥かな、西都の地より

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 2137