春うらら/蔡仁理 理事長-(130)

今年は春の訪れが例年に比べて大分遅いようです。台湾では新旧二つの正月があり、気候的にも寒さが長びいたためでしょうか、春の到来が緩やかになり、さあ春だと腰を上げて何かする意欲が鈍くなるのも、私等シルバー族の性でしょうか?ふと目をあげてカレンダーを見ると既に三月中旬でした。さあ、いよいよ春がやってきました。冬眠から醒めて、前に向かって頑張りましょう。



何かいい言葉を励ましに書きたいと考えて、数年前に読んだ「自分を活かす名言」(角川文庫)の中から三つ、私達向けの言葉を抜粋し簡単なコメントを付けて書く事にしました。

一、 生きている限り生命を大切にするがよい。」
ジョン・ミルトン(一六〇八-一六七四)
ジョン・ミルトンは敬虔な文学作家で、四十四歳にして眼を患い、ついには失明したが、聖書の創世記に取材した叙事詩『失楽園』の執筆に取り掛かり、それを完成したあと又『復楽園』十一巻を書いた。これはダンテ・アリギエーリの『神曲』と共に、イタリア最大の古典の名作であります。「生きている限り生命を大切にするがよい」とは「自分の生命を、愛しても憎んでもいけない。だが大切なのは」という言葉に続くもので、人生の辛酸を嘗め尽くした彼の言葉だけに、切実で説得力があります。人の生命は神から頂いたかけがえないものです。したがって生きているうちは一生懸命に勤め、神の意志にそえるように生を全うしなければなりません。


二、      「われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。」

セネカ (BC 6-65)
一世代前までは人間一生二万日という言葉があったが、昨今から人生一生三万日というように変わった。今は人間の寿命が八十年として換算した数字であります。八十年で数えるととても長く考えるが、三万日と数えるとにわかに現実感がいたします。この人生を如何にいきるかによって人生が長くもなるし、短くもなるのです。哲学者であるセネカは「われわれは短い人生を受けているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。」放蕩や怠惰の中に消えてなくなるとか、どんな善い事のためにも使われないならば、結局最後になって否応なしに気付かされることは、今まで消え去っているとは思わなかった人生が最早すでに過ぎ去っている事である。--「われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短くしているのである。」なんと示唆を含んだ戒めの言葉か! 


三、      「老いる事は恥ではない、

私はそれを証明したかったんだ。」ジョージ・フォアマン

 ジョージ・フォアマンはアメリカ近代の有名なボクサーで、後に社会事業家、伝道者になった人です。かつて一九六八年メキシコ・オリンピックのヘビー級で金メダルを獲得しました。一九七四年世界一の強敵 モハメ

ト・アリに挑戦して敗れましたが、社会福祉事業の募金のため、数多くの有名なボクシングに出場。そして四十二歳、ボクサーにしてはもうすでに遅い老年格に、当年ヘビー級チャンピオン、イベンダー・ホリフィールドのヘビー級王座に挑戦して、十二ラウンド頑張り抜き判定負けしたが、満場拍手、止まない感動は敗者ジョージに与えられた。


試合後、記者団相手にジョージは言った。「老いる事は恥ではない。私はそれを証明したかったんだ。」と。


老いる事は恥ではないと、私達も日常に於いて証明する意気込みを持って溌剌と生きましょう。

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