私の父親 (父親を偲んで)/許信裕-(131)

私の父は西暦一九二六年日本統治時代の生まれで、八十六年の人生歳月の中では、第二次世界大戦に巻き込まれ、徴兵されて日本海軍陸戦隊に入隊し、戦後は、所謂「白色恐怖」時代を経験し、二十一世紀に入った台湾が、近代的な変化を実現したことも見届けました! 二十九歳の時に父親を亡くした彼は直ちに長男としての責任を担って、母親や弟妹の世話をして戦後の混乱の中で、神様の恵みとお守りに頼り、困難を克服し、後にも弟妹達と助け合い、励まし合いながら努力して、一家は遂に苦境を乗り越え、平安な道に辿り着いたのです! 父が生涯で遭遇した苦難や哀楽の数々は、彼の晩年に出版した著作「神の愛といばらの人生」に詳しく記載されておりますので、どうぞご覧下さい。

世間の目からは、もしかしたら父はそれ程有名な人物ではなく、人間としての不完全性や弱みも持っていたかも知れませんが、私達家族の目から見れば、彼は責任感があり忍耐強い努力家で、私達の模範であり、立派な父親でした! 父は私達肉身の親だけではなく、家族全体の信仰の父でもありました!

次に述べる聖書の一節、ミカ書六章八節の御言葉は、父の一生の最も適切な証だと思います。
「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるのかは、お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」(新共同訳)

父は公益と正義を重んじ、悪を仇とし、彼の生涯を通して「義の行い」に徹し、台湾社会の不正や不義を非難し、文筆で批判(書刊に投稿)し、戒厳令が布かれていた時代にも拘らず、高俊明牧師、翁修恭牧師及び林清泉長老等と長老教会の『人權宣言』と『國事聲明』の起草に参与し、ある学校の朝会で演説し、当時の官員や政局を批判して、調査局に呼び出されて口問を受けた事もあります。彼が台湾を愛し、政治に関心を持っての行為だと言うよりは、むしろ聖書の教えに従い、キリスト教徒としての「正義を行う」義務を果たしたに過ぎないと解釈した方が正しいかも知れません! 又此れこそ多くの長老教会の牧師さんにお馴染の許石枝長老ではないでしょうか!

父は「憐れみ深い」人で、常に虐げられた庶民や迫害された政治犯を黙々と支援し、窮地に陥った人達や貧困者を受け入れ、優しく手を伸べて労わりました!毎年の大晦日には、父は家族達を家に呼び寄せて晩餐会を開き、皆で一緒に感謝の祈りを捧げ、神への感謝とともに貧しい人々や世の中の苦難の為に祈ることを忘れませんでした!

晩年父は教会の松年大学に奉仕し、玉蘭荘の奉仕にも力を注がれ、そこでも彼が何時も黙々と献金し、人々と楽しみを分け合う、慈しみ深い長者であることが窺われます。

父は「心の謙虚」な人でした、彼はよく家族や子供達に、自分には厳しく、他人には謙虚であれと諭され、常に「尽くし足りない」、「済まない」を心に置いて、教会や社会に尽くすべしと!「実るほど頭のさがる稲穂かな」の譬えを引用して、謙虚とは何か?を訓えてくれました。又、「半熟でうぬ惚れ青二才」高ぶるなと戒められました!

父は「神を畏れ敬う」人でした、毎晩床の前で跪いてお祈りを捧げる父は子供達の敬虔のお手本で、常に私達の家族を率いて家庭礼拝を行い、家庭祭壇を設けて神の恩寵を賛美しました。又世の中で立身出世するには、必ず聖書の教えに従わなければならないと諭されました!私の印象では、父が私にくれた第一冊の本は聖書で、其の第一ページには彼の達筆な字体で:「主を畏れることは知恵の初め」と書かれていました。又彼が私達に諭した処世法の優先順序では神様のこと(信仰)が第一で、次に健康、そして最後に個人事業でした。五十五年余りの暮らしの中で、父が私に与えたイメージでは、彼は厳粛でしかも、穏やかで優しい一面も持っている父親でした!父が神に召された今も尚、在りし日の些細な事や彼の念押しの訓示が心に蘇って来ます。

幼い頃、彼はよく私達を基隆の和平島の浜辺へ海水浴につれて行ってくれました。

私が大学二年生の時、父は私を連れて家の向かいにある民生小学校の広場で、オートバイの免許を取る為の練習に行き、又自動車の運転免許も親子二人で一緒に受けに行きました...これ等の事柄は子供達の懐かしい思い出と感謝として記憶に残っています!

 父の人生の素晴らしい成果は、実に神様の豊かな御恵みと憐れみの賜物であります。私達家族は、神様がこんな立派な身内を賜ったことに深く感謝し、一切の栄光は、彼の命の創造者であり、彼の一生を導き、お守り下さった天の神様に捧げます!

今年の二月二十三日夜七時、父は突然ですが、静かに安らかな眠りに就かれました。神は彼を温かく迎えられ、私達のお祈りをお聞き下さり、一生彼と共に居られた後、彼の肉体の命を取り去られ、少しの痛みも気掛りもなく、兄嫁が詩篇二十三篇を朗読し終えた後、静かに息を引き取られました。父とは暫しお別れですが、天国での再会を約束しております!暫くは地上で彼を見ることができませんが、父は今でも尚、以前と同じく私達に:「私と私の家、私達は必ず神に奉仕します」これが父の言い付けです。父が我々後世に遺した最高の信仰遺産です! アーメン


(故許石枝栄誉理事長の次男)

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