李茂松さん主に召される/張明徳-(133)

李茂松さんは九十五歳の高齢で主に召された。彼は博学多才な方で皆から尊敬されていた。玉蘭荘の古い会員なら先生が担当した「こぼれ話」は今でも記憶に新しいだろう。彼は中学の教員を長年勤めてリタイヤした老人で、只惜しいことに弱視で書見は厚いメガネに頼って苦労していた。が神様は彼にすばらしい記憶力を与えた。数学教員だけあって数字に対して鋭敏で例えば西暦何年にどんな出来事があった、何月何日にどんな事件が起こったかを即席に話すのに会員は敬服した,ほとんどの老人は記憶が衰退し勝ちなのに先生はあたかも眼前にある物を言い表す如く皆を敬服させた。彼の「こぼれ話」は歴史秘話がほとんどで皆が耳を傾けるような興味深いストーリーで「こぼれ話」と題するに至当であろう。


先生の文筆も読者の興味を惹いて、同感させられる。古い玉蘭荘月刊をひもとけば在りし日の先生の博学に頭がさがる。その中に「人生いろいろ」と題して人間の一生とは何ぞやを故人の見解で記されている。人生とは生まれてから死ぬまでの間を指す。人生は十人十色で誰にも同じくない生き方がある。若死する者もあれば、九十、百歳以上生き延びる者もある。しかしのうのうと生き長らえて、世の為、人の為に尽くさねばその人生は意義がない。李茂松さんは桃李満天下の教育者で、社会に有用な人材育成をした。玉蘭荘のためにも奉仕して下さった。


母堂は一〇六歳で昇天した。茂松さんは長男として最後まで孝行を尽くした。その母にその子あり!母のDNAを受け継いで九十五歳で主に召された。奥さんの翠娥さんも玉蘭荘で長らく手芸の指導をして下された。玉蘭荘のバザーには彼女が指導した手芸品がきらびやかに並べられて、人気を呼んでいた。ご両人はおしどり夫婦で行き帰りは常に一緒だった。翠娥さんは長年の持病で李茂松さんは片時も離れずに世話していたのだ。夫婦は一体だと言われるように、茂松さんは根気と愛情をもって愛妻と苦楽を共にした。

二〇〇三年四月に茂松さんは「こぼれ話」の奉仕を切り上げて、間もなく淡水の双蓮老人ホームに入所した。そこには玉蘭荘の会員が数名老後を過ごしておられる。第二の玉蘭荘と言うべく、時々僕たちは彼らを訪れて安否を伺う。茂松さんご夫婦も集って語り合いながら楽しいひと時を過ごした。


翠娥さんが先に主に召された。後を追う様に我々の尊敬する茂松さんも今や天国でご夫婦共に神様に守られて永遠の憩いをなされている。皆でご夫婦の冥福を祈ろう!

常務理事)

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