面白可笑しく、自分の死後のことを語る/劉碧雲-(135)

何年も前に、私は早めに私と夫の亡くなった後の処置をはっきりと汪さん(私より十幾つも若い友人)に託し、これより枕を高くして、「万無一失」(失敗のない様に万全を期す)と思っていたところ、豈図らんや、世の中は儘ならぬもので、或る日急に一本の電話が入り、汪さんがバドミントンの試合中心臓の発作を起こし、数分で亡くなったとのこと。この突然のバッドニュースは晴天の霹靂の如く。私達は最愛の親友を失い、深い悲しみに包まれて終ったのだ。

 汪さんとのつきあいは、十数年前、旅行会社主催の「瑞里、豊山の旅行」に参加した時、その夜一緒にお茶を飲んだのが切っ掛けである。その後何時も約束し合っては、登山・ピクニック・撮影・飲茶等全島を巡り、且つ一緒に外国旅行へ行き、兄弟に勝るとも劣らない、私達の人生の途中での得がたい知己であった。その後、再び山へ行くと思い出深い場所で我慢しきれず、涙をポロポロ流す私は、反対にしっかり者の汪夫人に癒される有様であった。

 事ここに至っては、又別の方法を考えねばと思案、どうせ私のこの一生は何も残すに足りる功績が有るのでも無し、只通り抜けただけなのだから、亡くなったからと言って何の痕跡を残す必要も無かろうと、「揮々衣袖、不帯走一片雲彩」(袖を振って一片の雲をも持ちさらず:有名な徐志摩の詩)と思い、娘にその折には、何名か友達を誘って、車を駆って「龍洞」か「北関」へ行って、私の骨灰を海に捨ててくれたらOK。飛行機とか船を雇ってばらまくなどの浪費は必要ない。その金があれば「慈済」(慈善事業団体)に寄付した方が有意義だと言いつけたところ、それを聞いた私の友人の一人が、その時には、車でその後を追って「環境保護局」に密告して罰金取られる様にすると言う。一寸見てごらんなさい!この様な友人があればもう「敵」などいらないでしょうが。それでは仕方なく別の方法を講ずべく、娘がアメリカから帰国した折、裏山へ連れて行き、いざと言う時、人通りの少ない頃合いを見計らって、この二本の樹の間に灰を埋めてくれる様、目下流行の「樹葬」にしてくれと頼むと、娘は「イヤだ」とは言いきらないが一寸渋い顔だった。

 それがある日丁度テレビのニュースを見ていると、台北市が「福徳公園」に樹木葬を試みるプランが有るとのニュース。「これだ!」と喜んだ私、早速電話で連絡し、小雨がしとしと降る中を、何度もバスを乗り換えて山に近い辛亥路の事務所を訪れた。本当に「買一送一」(一つ買ったらもう一つサービス)があるか如何か訊ね様とした所、実は五百名様までは特別サービスで全部無料とのこと。その上、私達は滑り込みで一番最後の二人だ。絶えず掛かって来る電話を断っているのを聞きながら、一歩早かったことは幸いだったと喜んだ。

 申請書の一欄に」「どの種の樹或は花の下に埋めて欲しいですか?桜の木か梅か?花はバラ?百合?つつじ?・・・とある。」考えて見ると、身体がもう粉になっているんだから、今更風流がっても仕様が無いと思い、「均可」(どれでもよい)に丸を付けた。

 手続を終え、「さよなら」と手を振りながら、私が「では、これで一切OKね。私はもう安心して行けますね。」と挨拶すると、外の葬式の哀悼メロディーを伴奏に、早目にお弁当を盗み食いしていた職員達は、今少しで口の中の御飯を噴出してしまうところだった。


後記:以上は皆事実。期間は七年間。困ったことにまだピンピンしているので、又延期してもらった。最近「陽明山」にもう一ヶ所設けるとのことで喜んでいるが、余り延期してばかりでは、他の人に悪い気もする。何とか急がなければ・・・。余り日本語を書かないので、忘れてしまった字が沢山ある。困ったものだ。なお汪夫人とは今でも親しく姉妹の様に交際している。

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