「父の日」に思う/杜武志-(136)

今迄「父の日」と言えば、子女に囲まれて舌鼓を打つだけでした。今年は玉蘭荘で「父の日を祝う」とて、新米の私にも白羽の矢が立てられましたので、感想の一端を述べさせて頂きました。


 私は淡水北新庄百力戞出身で、祖父の杜生財は日本統治時代に北新庄区長(その後三芝庄に合併)を務めたことがありました。それで出来たのが北新庄から大渓に通ずる山桜の並木道で、百年ばかりも昔のこと故、北新庄における山桜名所の先駆けとなりました。また後日、淡水マカイ医学館の後ろ側にある教会の義学書房で漢文を教えたこともありました。

 偶々、杜聰明氏が京都帝大医学部に籍を置くことが出来ましたので、私の父も名付け親の伯父(杜麗水)も伴われて赴日、京都府立第二商業学校に入りました。その後、祖父の他界で帰台、父は台北州立商業学校に転校しました。父の卒業後、社子に住む母は見初められて、人も羨む夫婦になりました。

「わたしはあなたととこしえの契りを結ぶ。」

(ホセア書二:二十一) 

「慈しみとまことは出会い、正義と平和は口づけす。」

(詩篇八十五:十一)


でも前述のホセア書は続く「わたしは、あなたと契りを結び、正義と公平を与え、慈しみ憐れむ。」とあって、「憐れむ」故に、奇しくも「刑罰と縁組とは運次第」(シェイクスピア語)という取り返しのつかない破目に陥ったのではないでしょうか。

 どこで見かけたか忘れましたが、「神はその愛する者を夭折せしむ」とありました。父の墓銘に、「嗚呼!若き者よ死せり矣」を見ても、父がいかに無念であったかが察せられると思います。だから先ほど諸兄(諸姉)から、ご尊父はみな長寿と承り、私は羨ましい気持ちで一杯でした。


  バイブルに「人生の年月は七十年ほどのもので、健やかなる人は八十を数える」(旧約 詩篇九十:十)とあり、奇蹟と申しましょうか、私は馬歯徒らに増えましたが、二〇一一年五月二日には見事にやそじ(八十歳)の坂を越え、そして二〇〇九年三月二十二日にはめでたく金婚日を迎えています。これも神の御恵みと感謝致しております。願わくば、今後もますます元気で玉蘭荘のご立派な優しいお兄様、お姉様のご支援で、意義ある余生を送れますよう念願致しております。これからもよろしくお願い申し上げます。   

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