私の父親・洪雅沼/洪以臻 (重金優子訳)-(136)

父は、私が幼い頃からあまり家にいることがなく、数週間に一度しか家に帰って来ませんでした。台湾電力の工程処で働いていた父は、勤務地が遠かったために毎日帰宅することができなかったのです。そのため私は父との関わりが少なく、手をつないだり、抱っこしてもらったりという思い出もありませんでした。それでも、父は私達四人の子供を愛してくれている、と常に信じていました。


 私が小学校四年生の時、父は台北に出張に行き、お土産にハーモニカを買って来てくれました。私はハーモニカなど吹いたことがなかったので、父に気に入ったか、と尋ねられたとき、つい「こんなの好きじゃない」と言ってしまいました。父はきまりが悪かったのか、何も言わずに行ってしまいました。

 私は高校に入ると寮生活を始めたのですが、寮では毎晩生徒全員が教室で自習をする規則になっていました。ある夜、教官に突然呼び出されて行ってみると、父が届けものにやってきたのでした。父は初めての道のりで、きっと迷いながらやっと学校にたどり着いたのでしょうが、私はその時もただ一言「ありがとう」とだけ言って、すぐ教室に戻ってしまいました。学校の中を案内したり、おしゃべりをしたり、ということは全くしなかったので、あとで父がどうやって家に帰ったのかさえ知りませんでした。


 私達の家はいわゆる公務員の家庭でしたので、子供たちに海外留学をさせられるような経済的な余裕はとてもありませんでしたが、結局四人の子供のうち三人が留学しました。後になって母から聞いたのですが、父は母に「もし子供が留学したいと言っても、引きとめてはいけないよ。」と言ったので、母は苦心して費用を集めてくれたのです。父のこの一言のおかげで、私達はいい教育を受けることができたのだと思っています。

 最近は父もすっかり年老いて、体も弱くなりました。しかし父の喜びの心は大きくなり、私達との距離も近くなってきたように思います。毎晩眠りに就く前に、父は私達におやすみの挨拶と祝福の言葉をくれます。「イエス様はお前と、お前の妻、子供、そして世界中のすべてを愛して下さるんだよ。」と言って、ほほ笑みながら、父は寝室に入っていきます。そうして父の寝室のドアが閉まると、私の心は神様への感謝と祝福に満たされるのです。

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