ボランティアさんのリレーコラム-ボランティアを出来る幸せ/鈴木 景子-(137)

夫の赴任に伴って台湾に来た当初、知っていた中国語は「ニイハオ」と「謝謝」だけ。それでも何とかやって来られたのは、親切な台湾の方々の助けがあったからだ。

今振り返っても本当にありがたかったと心から思う。

台湾生活を始めたころ、日本人会で「気功」を習う機会が有った。老師は、八十歳近くでとてもお元気。ある日、私を含めた何人かの日本人夫人たちはいつものように靴を脱いで、裸足で授業に臨んだ。突然の老師の怒りの声。

「この靴の脱ぎ方は何ですか!あなたたちは日本人でしょう。きちんと靴をそろえなさい!」私たちは慌てて揃えなおした。

 また、同じころ、ある友人の話も聞いた。その友人はその友達と一緒にバスに乗っていて、普通に日本語で会話をしていたところ、恐らく「超(ちょう)何とか・・」など今の流行りの言葉を使っての会話だったのだろう。突然、近くに座っていたおじいさんから「あんたたちは、もっときちんとした日本語を使いなさい!」と怒られたとのこと。私自身、台湾に来てまだ間もないこともあったので、台湾は不思議な国だと思った。お年寄りから、我々日本人に対して、もっと日本人らしくしなさいと注意される国なのだ。日本人らしくとはどういうことなのかと、日本に居るときは考えもしなかったことを台湾に来て、改めて思った。

台湾で生活をしていくうちに、また玉蘭荘でボランティアをするうちに、日本人と同じかそれ以上に日本人らしさを大事にしてきた人たちがこの台湾に大勢いることがわかってきた。それは礼儀正しさだったり、とくに年齢が若くなればなるほど忘れられつつある所作だったり。これについては、日本人も、もちろん多くの人が大事にしなければと思っている。

書店でマナー本などがたくさん売られているのは、その表れであろう。

玉蘭荘にもそんな時代の大先輩たちが集い、演歌を歌い、なつかしい童謡を口ずさむ。歌好きな私の父母と同じだ。しかもほぼ同年代。でも違うのは彼らの背負ってきた歴史だ。

さまざまな困難を乗り越えてきた幾つもの人生の晩年に、ほんの少し寄り添うボランティアが出来て、幸せだと思う。

日本から離れ台湾で生活しているボランティアさんたちは、玉蘭荘に父や母、おじいちゃんやおばあちゃんを感じ、そして日本を感じているのではないかと思う。

最近目標が出来た。私も高齢になって、出かけるときは、イヤリングをしてネックレスをかけ、もちろんお化粧をして出かけよう!玉蘭荘の方たちは私の目標だ。

当初不思議な国だと思った台湾。寒い冬にダウンジャケットを暖かく着ていても、足元はビーチサンダルだ! やはり、今でも不思議な国に変わりはない。 愛すべき台湾!

               (日常ボランティア
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