年頭にあたって/蔡仁理理事長(カナダより)-(137) 

二〇一三年、明けましておめでとうございます。

神様のお恵みと皆様のご支援ご指導に依りまして、玉蘭荘が二〇一二年度の活動及びバザーを滯り無く順調に進められた事、理監事一同に代わりまして心から有り難く感謝いたします。

私は十月台湾を留守にしてカナダのトロントに来て既に二ヶ月経ちました。それは、私が二〇〇一~二〇〇七年まで六年間牧会した此処の台湾人教会との約束で、教会堂建設が出来た折りにはその献堂式に必ず来ると言いましたので、約束通りに参りました。

今この教会が無牧ですので年末までお手伝いの奉仕でカナダに残っております。常々国外宣教の役目で留守にした事、玉蘭荘の理事会及び皆さまには心済まなくお詫びさせて頂きます。

私事に成りますが、私は過去聖書協会の仕事を一九九八年にリタイアしてから、晩年を国外台湾人弱小教会の宣教協力で過ごすことを祈り、かれこれ十一年間ばかり、オーストラリア、日本、 そしてカナダを主に奉仕して参りました。二〇〇八年に台北に戻り玉蘭荘の理事会を托されてからも、そんな訳で続けて毎年二、三ヶ月は 台北を留守にしております事、御了承ください。

前置きがくどくど長く成りましたが、ご存知の通り玉蘭荘はキリスト教精神に基づき、二十四年前台北界隈にて日本語でのシルバー族の集まりにデイケアの形で毎週二日(月、金)奉仕してきました。豊富なプログラムを提供(歌謠、語言学習、社会文化健康講義、老後生活の弁え、聖書の学び、ピクニック、カラオケ、映画鑑賞など)し、皆さんの愉しい交わりや語らいの憩いの場として、今は五十人程の高齢者が集うデイケアセンターにと発展しました。現在、参加者の平均年齢は八十一歳を超えております。

爾来 ささやかながらの会費や活動費・献金、国内外の支援者&団体(交流協会、日本工商会や日本人会、ロータリークラブ、教会など)、またボランティアのご奉仕等に支えられて、今日まで円滑に運営して参りました。

台湾の社会事情も近年来、創立当初と比べてかなりの変遷と複雑性をもたらし、以前の日本語使用者の数も減少しつつあり、徐々に経済的自立を目指す事も益々真剣に考慮する必要に迫られている事項として、理事会でも討論されてきております。

玉蘭荘の創立の主旨は社会福祉にある事に基づき、過去の意義ある活動を省みつつ、今後の運営方針に付きましては配慮するべく、多方面のご意見やご指導を、支援者や外部の皆様にも仰ぐ次第であります。新しい事態に面して新しき将来への経営方針、資金の調達、現会所の有効的使用(地下鈇駅設置完成による交通便利)、次代指導層の導入、プログラム更新等と数多くの宿題を抱えている玉蘭荘に有志の皆様からのご代祷とご支援指導を心からお願い致します。

台湾と曰本の特別な歴史的繋がり、そして台湾人で日本語使用に含まれた特殊感情がどこまで国民外交に役立つか憶測を必要としますが、ささやかながら玉蘭荘が日本との関わりに尽くした連携の役割は見逃せない事実であると思われ、色々考えさせられました。
話が突然変わりますが最近カナダで受け取ったメールの中でこの様な感心させられるストーリーがありました。カナダ人の社会への関心、他者への愛の熱心さを目の当たりに見る良い話題として簡単に抜粋して参考までにお伝えいたします。

題目は「デルタ十五便」 話は二〇〇一年九月十一日、十一年前のハイジャックテロによるアメリカの四航空機突撃で三〇〇〇人以上の死亡者を出した大惨事を思い浮かべて:

九月十一日火曜日の朝、その五時間前にフランクフルトを出発したデルタフライト十五便機は北大西洋上沿岸をアトランタへ向けて飛行途中、突然北アメリカ航空管理当局の緊急命令で「全北アメリカ国際空港閉鎖に付き、大西洋上アメリカ向けの全飛行便に、最寄りの空港へ緊急着陸せよ」と、理由説明なしでの指令電報を受け取り、四〇〇マイル先にニューフォンランド島(カナダ領)があったのでその島のガンダー市空港へ緊急着陸しました。デルタ便が着陸した時ガンダー空港には既に二〇機ほど先着の航空機が緊急着陸していました。そこで初めてハイジャックテロの驚くべき惨事消息が伝わって来ました。この小さな空港には合計五十三機、そのうち大型旅客機二十七機、合計一〇五〇〇人の外来乗客が、このガンダー市の総人口一〇四〇〇人の小都市を突然不測の客として訪れたのです。事件の全貌が明らかになり、これだけの人々を二、三曰待機させて泊まらせ、食事、交通運搬、旅客通信、その後通達し各々出発させる事などの必要処置。ホテルは勿論、凡ての学校、民家が受け入れても不足でしたので、付近の村落も利用出来るところは使われました。北方僻地のカナダ人にとっては、大掛かりな地方共同体団結総動員(学校、教会、近隣の市町村や公的機関、社団組織等)による日夜の努力や連携協力で、この大変な事態を結果的には見事に成し遂げました。

このメールはデルタ十五便の添乗員の書いたもので、その便の乗客二一八人は、まずガンダー市から四十五キロ離れた漁村ルイスポートの中学校に移動し、そこから各々の必要な要求に応じて家庭にも振分けられ宿泊し、そこを通じて食事、対外通信メール(国内外)連絡、衣服の洗濯(客の荷物は機内に残されての待機避難で、臨時の着換えも必要となった)。学生、村人、青年、教会員らルイスポート全体の動員で、交通、食事運搬に当り、翌日にはその村落近くのツアーに案内し、ボートクルーズやお年寄りの会合に招いたり、気分の悪い人には看護婦が付き添うなど、至れり尽くせりの接待で、乗客達は皆まるで団体ツアーに来た様な気楽な気持ちだったと表現されていました。翌々日アメリカの空港再開の通知があった時には、出発時刻に合わせて乗客がガンダー空港に着くように交通が混乱なく手配され、一万人余りの乘客を一人としてもれなく時間通りに無事出発させた事も、特筆される素晴らしい計画実行でした。

このデルタ十五便乗客が機上に全員集まった時、ある一人の乗客が今回のルイスポートの親切な対応に対し、この漁村に何か感謝の徴しに、その中学校へデルタ十五便獎学金でも募ろうと提案し、皆の賛成で機内にて募金して、即時に一四〇〇〇ドル集まりました。その時もう一人の乗客で、バージニア州のお医者さんが「私がこの獎学金を倍にしましょう。合わせて二八〇〇〇ドル。それから私のオフィスで責任を持って皆さんとの連絡を取り、この獎学金が増えてルイスポートの中学生達がカレッジ教育を終える事が出来るまで応援しましょう。」二、三年後このメールが書かれた時この基金は既に一三四万ドルになっていました。

最後にこのメールはこう書かれ結んでいます。

「この世の中で常に凡てが腐敗した悪いことで満ちていると感じられて居るときでも、なおまだ多くの愛と情けがある、神様を信じる人たちが居て、悪しきことが起こる時に出てきて力を出してくれる人がいる。神よ、アメリカ、カナダを祝福して下さい。」と。
私もまた皆さんと共に:

「私たちの住んでいる世界(台湾)がますます愛を持って人に接する良い所に成るように、神を畏れ愛と情けに満ちた所であるように、希望し祈りましょう。」

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