「ただいま!玉蘭荘の皆様」-(139)

陳加壽子宣教師(台湾日本語聖書教会-カフェ・チャーチ) 

皆様との再会を、心から感謝致します。日本の神学校での学びを終え、ふたたび玉蘭荘へ戻ってまいりました。そして、音楽家としてではなく、御言葉を説き明かす者として、奉仕をスタートさせて頂いています。

宣教師として遣わされている、私の働きの内容は、台湾での邦人宣教と、日本語教会開拓です。二○一二年四月、「台北日本語聖書教会(カフェ・チャーチ)」が誕生しました。神学校先輩の松本望美師も、協力宣教師として携わって下さっています。

この教会では、福音(イエス様の身代わりの十字架による、救いと赦し)が、語られています。御言葉により目が開かれ、人が救われ、喜びが満ちています。どんな喜びかと言うと、愛されている!という実感が湧いてくる喜びです。

そして、この喜びを伝えるために、神様は私を再び、玉蘭荘に遣わされたと、確信しています。

玉蘭荘が、今日まで存在するのは、多くの方の支えがあったからであり、皆さんは多くの方々と、とても豊かな交わりをもってらっしゃいます。しかし、その背後に、歴史を動かしておられる神様の存在があったことは、明確です。

そして今、横の関係だけでなく、縦の関係、神様との関係に目を向ける時が、お一人お一人に与えられています。この神様と豊かに交わりをもち、永遠に滅びることのない生命に満たされるなら、泉のように喜びと平安が湧き、生き生きと、毎日を過ごすことができます。

「人間」のことを、ギリシャ語では、「アンスロポス」と言います。上を見あげる者、上を向く者、という意味があります。神様は私達を、上を向くもの、神を仰ぐ者として造られました。

神を仰いで生きる姿は、人間のとても自然な姿、人間の本来の姿です。神様はこのような姿をみて、喜んでおられます。反対に、この神様から離れて歩んでいる姿、神様と絶交、断絶のままである人を見て、悲しんでおられます。
皆さんは、上を向いて歩んでおられますか?下を向く毎日でしょうか?また、神様の代わりに、自分を見上げて、歩んでいないでしょうか?

どうぞ今、皆さんの心の中にある、心配、恐れ、責められる思い、負い目、罪、すべてを、イエス様の十字架のもとへ、もっていってください。そして、しっかりと、赦しと救いを受けとってください。

最後に、「真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」 テモテへの手紙第二2章十五節という御言葉の通り、真理のみことばをまっすぐに説き明かし、神に自分をささげ、玉蘭荘でお仕えしていきたいと思います。

(新改訳版聖書より引用)
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