特集 母の日に寄せて-親愛なる慈母を偲ぶ/ 黄澤南-(139)

私の母は天下一の慈しみ深き人であったと思います。私たち兄弟姉妹(男四人、女三人で私は次男)合わせて七人の子を健やかに育ててくれ、そのお蔭で皆幸せに暮らして参りました。母はとても慈悲深く心優しい人で、いつも徳を積み、親戚や隣近所の人から慕われていた人でした。

私が十歳の時、海水浴をしていると目に海水が入り片目がはっきり見えなくなりました。眼科に行くと白内障だとわかりましたが、当時の医療はまだ発達していなかったので、手術をする事も出来ませんでした。

母は、知人が教えてくれた漢方の医者(赤脚仙)に目を診てもらうため、高雄から岡山までバスに乗り、それからトロッコに乗り、雨の中傘をさして燕巣の田舎村まで私を連れて行きました。漢方薬を頂いて帰路につきましたが、この往復の路程はそれは大変なものでした。

また、私が十五歳の頃には、強健な身体になるようにと鶏や生蕃鴨の薬膳料理を作って毎日食べさせてくれました。

私の結婚後には、妻の淑麗のお産にいつも付き添い、介抱をしてくれていました。このような母の大きな愛に感謝の気
持ちで一杯です。

その母に不幸な事が起こりました。母が六十四歳のある日、突然の腹痛で医者に診てもらうと、胃癌の末期とわかり、その頃の医療では食道と十二指腸をつなげ、せめて食事が出来るようにする事しか出来ませんでした。父が懸命に色々な医者に頼んで往診してもらいましたが、その甲斐もなく母は六十四歳の若さでこの世を去りました。神様はどうしてこの良き母を助けて下さらなかったのかと、悲しくて涙が止まりませんでした。「鳴呼哀哉」。

母の訃報に接した親戚や近所の方々もお悔やみに来て下さり、共に涙を流しながら悼んで下さいました。立派で慈悲深き母に親孝行が出来なかった事が非常に残念です。この良き母の御恩に報いるために兄弟で相談し、高雄の半屏山と寿山が見えるとても見晴らしがよい場所にお墓をたてました。今後、子々孫々にお墓参りが出来るよう、堅固で華麗なお墓にしました。

母の他界から五十年余りになる今でも母の事を思い浮かべると涙が溢れて参ります。優しい母上様、なにとぞ天国にてゆっくりとご安息なさって下さい。
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