「私は苦しんでなんかいません」/橋野 敦子-(139)

夫の転勤に伴い台湾にやってきて二年。玉蘭荘でボランティアを始めて一年と少し・・・ボランティアを通じ、今まで深く知ることのなかった台湾と日本の歴史に触れることのできる機会を得て幸せなことだと感じています。

私がボランティアを始めるきっかけとなった女性のお話をしたいと思います。

二○○六年夏からシカゴ郊外、アーリントンハイツという町で私たちの二度目のアメリカ駐在生活が始まりました。この町の図書館には、移民の生活と語学習得を援助する様々なプログラムがあり、住民は無料で利用することができます。

中にはボランティア講師による週一回一時間の個人レッスンがありました。私の講師となったのはスーザンという元小学校教員の女性で、MSという神経系の病気を患っており、車椅子での生活をしていました。図書館に来るには車椅子用の車両を利用していましたが、車両や介助人の都合がつかないときは、彼女の自宅に私が行くこともありました。

自宅はテラコッタ風のタイル張りの床で、エスニックな感じのステキな家でした。大きな窓があり、庭にやってくる小鳥が餌をついばむ様子がよく見えます。車椅子の彼女の不自由のないよう室内は設計されていました。

彼女の授業はとても楽しいものでした。読み易く内容の面白い本を選んでくれるので沢山の本を読みました。授業は午前開始だったのでランチを食べながら話すことも。クッキーなどの入った小袋を開けるとき、彼女は指先に力が入らないので歯を使って開けようとします。時には私が手助けをしました。

ある時、彼女に「How long have you suffered?」(何年この病気にかかっているの?)と尋ねると、彼女は「I have not suffered, I have had this disease for 5 years.」

(私は苦しんでなんかいないわ、この病気になって5年になるけれどね)「suffer」には(苦しみを経験する)という意味があるのです。

彼女の言うとおり。歩けないからといって、指先がうまく使えないからといって、それが苦しい、などというのは思い上がった考えだった。自分の足で歩き回れなくても、つねに整理された家に住み、インテリアを楽しみ、窓から小鳥たちを眺める。指先が多少不自由でも本を選び読むことができる。自分の時間を人のために使うことができる。どんな身体でも、彼女の本質は何も変わらない。困難な状況でも自分の内面を磨き、自分のできることを人のために行うことの大切さを知っている。彼女は英語だけでなく、私にとって大事なことを教えてくれたのでした。

スーザンは数か月後他州に引っ越してしまいましたが、私はそれから図書館でボランティアを始めました。彼女を見習おうと思ったのです。大きな図書館の中のほんの少しのことですが、私にはとても充実したものでした。

スーザンの言葉は私の心に深く刻まれ、ボランティアは今では私の生活の一部です。

(日常ボランティア)
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