心は感謝に充ち溢れて 何封章--117号

1. 我が家と玉蘭荘の関係 
私の幼少時代は田舎で育ち成長しました。父母や目上の方々に連れられてよく付近の廟へお参りに行きましたので、真実な神を認識する機会がありませんでした。神様のみ恵みにより、私は謙虚で賢明なキリスト信仰を持った妻と結婚し、数年後に私も神のみ前で自己の罪を告白し、1992年12月20日にアメリカのロサンゼルス台福東安教会で蔡荗堂牧師より洗礼を受けました。聖書より貴い教えを黙示され、心が安らかになり、希望に満ちた生活を持つことが出来る様になりましたが、唯一の懸念は父母がまだキリストを信じていないことでした。家内と私はこのことについて、よく祈りました。父母は長い間、日本に住んでおりましたが、定年後、台湾に戻って来ました。今迄殆ど日本文化の影響を受け、その環境の中で生活して来ましたので、台湾にいても、そう言う環境に住み、友達との交流が出来ることを願っておりました。

1995年妻のおば楊王満女士が父母の健康や生活に関心を寄せ、お話の中で、日本語による高齢者の良い集まりの場である「玉蘭荘」について話され、その年の4月14日、母は正式に玉蘭荘の集まりに参加し、繋がりを持つことが出来ました。

2. 両親は「玉蘭荘」に潤されました。
母(富岡貴美)が玉蘭荘の集まりに参加し始めてから、多くの兄弟姉妹やボランティアさんの関心を受け、すぐにその活動に解け込むことが出来ました。然し当時、父(富岡郷次)の健康状態は、母が常に付き添っていなければならないので、母は活動に毎回参加することが、不可能でした。大川さんはそのことを知って、ご多忙ながら、よく訪問して下さり、関懐組の方々も聖書や賛美歌で神の愛と恵みを分かち合って下さり、共に祈って下さいました。両親は聖書のみ言葉や賛美歌の賛美により、知らないうちに、自己の生命に対して深く認識をすることが出来、過去の心配、恐れ、不安から解放され、一切を神様にお委ねすることが出来ました。
そして、神様のみ前で自己の罪を認め、兄弟姉妹の見守る中で1996年12月10日に都丸牧師によって病床洗礼を受けました。父母の上に主のみ恵みが満ち溢れました。

私達全家族は玉蘭荘の皆様に感謝しております。

特に大川さんと今井さんは遥か遠い日本から台湾に来て下さり、異国に対する誠なる愛は、私にとって一生忘れることが出来ません。受洗後、父は心がとても安らかになり、身体の病状に苦しむことがあっても、何の恐れもなく、1998年4月11日、主の身元に召されました。二人の老夫婦が寄り添って助け合う形が終わった後、母が独居老人にならない様に、過去の悲しみが段々薄れて行く様に、関懐組を中心に皆様が、母を慰め、励まして下さいました。母は皆様の慈悲深い愛に満ちた関心のもとに、「玉蘭荘」の色々な活動プログラムに参加し、それらは母の生活上重要な一こまとなりました。

その他、母は毛糸の編み物が堪能で、また家族がとても喜ぶ家庭料理を作るのが上手でした。母は普段から物事を綿密に計画し考え、十分に成し遂げることが出来る人でした。

その上、88000字もある内容豊かな母の生涯の回顧録を完成し、子孫代々の重宝な家庭遺産として保存してあります。この残されし年月の中で、母はとても豊かな生活を送っていました。

昼間は聖書を読み、夜は就寝前に賛美歌を歌いながら眠りに付き、一家の子々孫々から祝福を受け、私達は、この様な恵み溢れる歳月の中で、母が百歳迄生きてほしいと望んでいましたが、意外にも、2005年10月23日に主のもとに召されました。

両親は既に私達と離別し、心に限りない悲しみを感じますが、幸いにも母は回顧録を残してくれました。それは私に、自分とは違ったもう一つの人生観を示してくれました。

最近流行っている「A Thousand Winds」---日本の秋川雅史が歌っている「千の風になって」の歌詞によって、私は心の傷を慰められ、励まされ、また心の嘆きを癒されました。
(賛助会員)
(訳:楊王満)

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