日本の危険な右傾、軍国主義/郭維租 医師(アメリカ在住)-(140)

「剣によって立つ者は、剣によって亡ぶ。」

イエス様の教えは永遠の真理である。草は枯れ花は萎む、然し神の言葉は永遠に立つ。私共も短い数十年の間に、自分の目で見て親しく経験して来た事実である。

八月十五日が巡って来たが、六十八年前の記憶は未だ生々しく、決して忘れる事は出来ない。一九四五年の春、東京の三月十日と五月十七日、二回の大空襲で、帝都は一面焼け野が原に化した。私の住む小石川大塚中町のアパートは辛うじて焼け残ったが、周囲は一面の廃墟。そして広島と長崎の原子爆弾、かくして終に戦争は終った。「国破れて山河あり」の個人の言葉が身に沁みた。
軍国主義日本は崩壊し、敗戦と米軍進駐の未曾有の国辱、日本国民たる者、永久に忘れる事は出来ない筈である。戦争は罪の中の罪、又それ自身、神の罰である。古来戦争は、何とか理屈を付けて戦われて来た。徳川家康が豊臣家滅亡の為大阪城を攻めた口実が、寺の鐘に記された「国家安康」の字であった事はその最たる者である。又古来中国の王朝の末期に内乱で亡びる時、叛乱軍は必ず民を救う為に蹶起した「義軍」であると稱した。

近世東亜に起った日清、日露戦争、満州事変、日中戦争、太平洋戦争、一連の戦争には勿論色々な原因は有るが、日本の興隆に当り富国強兵の軍国主義路線を採用したのが主因であった事は否定出来ない事実である。最初は列強の侵略から国を守る為に已むを得なかったとは言いながら、当初の目的が一応達成されてからも「国防の第一線」は限りなく前進を続け「攻撃は最善の防禦」となって、自衛の積りの軍事行動が、客観的には明白な侵略行為になったのである。

今日の情勢は八十年前、満州事変前後の情勢そっくりである。喧嘩には必ず相手が必要で一人で芝居は成立しない。売り言葉に買い言葉、口論の末に手が出てしまう。双方とも近隣の大国、経済的に密接な関係で、衝突は極力回避すべき事を知りながら、危ない火遊びをやめない。実は双方共、敵は本能寺、内部に困難な事情をかかえ、解決に苦労して居て、安易な道が所謂「愛国心」の掛け声である。そして誤算と、一寸した弾みに衝突が起きて、取り返しの付かぬ大事を起してしまう。

内村先生は不戦平和を固執し、キリスト教の真偽は、その平和に対する態度によって判定出来ると言われた。矢内原先生は身を賭して平和を主張し、大学教授辞職に追い込まれた。高橋先生は近来日本の右傾、軍国化を深く憂慮し、屡々その危険を警告された。
私は大戦中、東京で医学を学び、二十三歳まで日本国籍の台湾人。特に思わぬ機縁で矢内原先生にお会いし、山林の小道一時間許りの散策にお供してお話を伺い、生れて初めて真の神を示されて目から鱗が取れた思い。台湾人として、日本が中国を攻撃して居るのは、父が母をいじめて居る感じで、胸の裂ける思い。本当の日本を知る為に、無理に父母に頼んで、窮屈な家計をやりくりして東京に勉強に来た甲斐が有った。矢内原先生に導かれ、その後高橋先生に導かれて、イエス様にお会い出来て感謝の至り。
私の地上の国籍は台湾、今は隠退して米国の子供達の各家庭に身を寄せて、東亜の情勢を心配しながら見守って居る。正直言って、台湾の事は勿論、日本の事も、そして中国も他所事(よそごと)として傍観することは出来ない。内村先生、矢内原先生、高橋先生、そして諸兄姉皆様の国、将来が気掛りである。日本は和戦の岐路に立って居る。

戦後二世代過ぎて、「ヨセフを知らない王が興り」戦争の惨禍を体験せず、祖父の苦労を知らないで、功名心にはやって事態を激化させて居る現情は非常に心配である。双方とも自制し、理性的に対処すべきである。基本的態度さえ確立すれば、具体的方策は、いくらでもある筈である。

勿論基本的には「エホバへの畏敬」、そして同じくエホバの創造された人同志として「四海同胞」の観念が必要である。神を畏れず、自分が中心になって、神の様になろうとする、人間の原罪は、絶対に峻厳な正義の審判を免れる事が出来ない。勿論中国とて同様、内部の矛盾混乱から国民の目をそらす為に、愛国心を煽り、拡張政策を取って近隣諸国と摩擦を起して居る現状は、近代日本の歩んだ道そっくりでは無いか。その行き着く先が何であるかは明白では無いか。

人類はどうして、こんなにも盲目で健忘であるのか、嘆かわしい限りである。正義と平和は国家の理想であり、神の御心である。
義は国を高くし、罪は民を辱しめる。

預言者の言葉は永遠の真理である。耳ある者は聴け!九十翁、太平洋の対岸より、日本の前途を憂慮し、全能の父なる神の御憐みと御導きを祈りつつ。

           (二〇一三年八月九日投稿)
    
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