劉菊野女史を偲んで-劉菊野さんを偲ぶ/陳旭星-(142)

二〇〇五年の秋、それは私が玉蘭荘のメンバーとなって活動に参加し始めた頃でした。玉蘭荘ではいつも菊野さんの傍に座っておりましたので、自然と菊野さんは私の日本語教師のような存在となり、正しい話し方や文章を指導して下さいました。菊野さんからは日本語以外にもいろいろと学びました。

菊野さんのご主人様(元・台湾大学獣医学部教授の劉栄標先生)は、脳梗塞で倒れ七年もの間寝たきりになられました。そのご主人様を、菊野さんはずっと看病なさいました。ご主人様がお亡くなりになられ、そのショックと悲しみのあまり、自律神経失調症とノイローゼをわずらい、心身共に疲弊状態になられました。ちょうどその頃、日本のJOCSから台湾のために派遣され、玉蘭荘の総幹事をされた大川記代子さんと巡り会われました。大川さんは同じ大阪府出身で、又大川さんからの温かい慰めと励ましにより、親友のような関係になられました。そして、大川さんと共に玉蘭荘へのご奉仕をなさっているうちに、まるで奇跡のように自律神経失調症とノイローゼからご回復なさいました。

菊野さんは玉蘭荘で神様の愛を心より受け入れ、神を信ずる決意をし、洗礼を受けて熱心なクリスチャンになられました。そして、常に玉蘭荘に関心を持ち、ご奉仕をお続けになりました。とりわけ、 一九九四年から実施された訪問ケア(関懐)ボランティアのご奉仕を総幹事やチームの皆さんと共に熱心になさいました。

ある日、一人の会員のお宅をお見舞いされている時に、足を滑らせて転ばれ、左足大腿骨にひびが入るという不幸な出来事がありました。それが原因で左足がご不自由になられ、訪問ケア(関懐)のボランティアは出来なくなられましたが、それでも自宅から玉蘭荘の会員へ電話でのケア(関懐)をお続けになりました。

菊野さんは、「青田 折々の記」というテーマで、大川四郎さん(大川記代子さんのご主人)に伝記を書いてもらわれ、親しい友に配られました。この伝記には菊野さんの人生についての証がいくつか書かれています。私は菊野さんに頼まれて、その伝記を中国語に翻訳するお手伝いをさせて頂きました。

私から見た菊野さんは、個性的でとても心の優しい人でした。物事を深く考え、細やかな心配りが出来る方で、正しいと思った事にはまっすぐに突き進んで行く方でした。又、誰にも負けないほどの記憶力の持ち主でした。賛美歌や民謡などは、どの曲でも歌詞を見ないで歌える方でした。そして、いつでもイエス・キリストの愛をもって人と付き合い、福音を分かち合うお方でした。

菊野さんが病気で玉蘭荘へ来られなくなってからは、訪問チーム(関懐組)が定期的にご自宅や病院へお見舞いに参りました。菊野さんは一九九八年に玉蘭荘の会所にて洗礼を受けられ、東門教会の教会員となられ、ずっと教会に通っておられましたが、ご高齢になられてからは、玉蘭荘での礼拝にのみ出席なさっておられました。そのために、菊野さんのお見舞いの際に、何回もご自宅で臼杵牧師や松本宣教師に聖餐式をして頂きました。菊野さんは私におっしゃいました。「陳さん、聖餐を受けて私は神様にもっと近づけた気がする。心も落ち着いて来たし、とてもうれしいよ」と。

菊野さんは神様に召されて、イエスさまの傍にいらっしゃる事を確信しています。そして、天国の喜びを自ら体験しておられる事でしょう。

ご家族の皆さんの哀しみが癒され、菊野さんがこの世に残された信仰と美徳がご家族の皆様の心にいつまでも残って行く事を心から祈っております。

(理事)
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