鄭秀珠牧師夫人を偲んで/張明德-(143)

鄭秀珠牧師夫人は二〇一四年四月一九日に九十二歳のご高齢で天国に召されました。

謹んで故人が主の聖霊の御許で安らかに過ごされます様に祈りながら、鄭牧師夫人が玉蘭荘の発展に尽瘁したあらましを記します。
鄭牧師夫人と僕達夫婦の出会いは玉蘭荘が新生南路の家を借りて活動をしていた頃からはじまった。玉蘭荘の素性を全然知らずに同じ教会の簡老師に誘われ、僕は簡老師から毛筆を習い、荊妻は鄭牧師夫人からワンバイワンで手芸を教えてもらつた。三回目に行った時、家主が家を売るので敦化南路の林百合さんのオフィス十二階を借りて活動を続けると許石枝理事長が教えてくれた。僕達夫婦はその頃からボランティアを続けて今に至る。

鄭牧師夫人と荊妻は共に手芸に興味があり、教えられたり、教えたりして一緒にバザーに備えて色々な手芸品を作った。作品には鶴、人形、兔、猫、鼠、などがあり、今でも玉蘭荘や我が家に飾っている。バザーでは老人が細かい手芸品を一針一針縫い続ける根気に感心して買ってくれる支援者もあり、褒められて、益々熱心になった。

一九九四年十月十二日、JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)のお世話によって鄭牧師夫人がリーダーになって十三名のボランティアが日本の老人ケア研修に行った。僕は赤帽になって女性群の荷物の上げ下ろしをしたり、講習会、座談会の記録を鄭牧師夫人に代わって書いて大川総幹事に報告し、JOCSにもお礼の手紙を送った。

研修旅行から帰って間もなく、大川さんから総幹事を受けついでくれと言われ、僕にはその才能がないと言って断った。その後に鄭牧師夫人からも大川さんの任期が切れたから継承する様に言われたが頑固に断った。後にお二人は荊妻を口説いて遂に僕は総幹事のバトンを受け継いだ。

僕の在任中、鄭牧師夫人は色々と教えて下さった。玉蘭荘の会所を買った時は、毎月彼女の子息が巨額の献金をするばかりでなく、多くの教会の支援者から募金をしてもらい、玉蘭荘に寄付してくれた。彼女は心から玉蘭荘を愛した偉大な方であった。

鄭牧師夫人の教会が聖地旅行に行く時に僕達夫婦も誘われて、一緒に思い出深い旅をした。彼女は二度目の聖地の旅であった。その時台湾では感冒がはやり、同じバスの中で、互いに伝染した。鄭牧師夫人が同教会の薬店を経営してる女性に感冒薬を用意させて皆の発熱、咳を癒して下さったことは忘れない。シナイ山の日の出を見る為に夜中に駱駝に乗り、険しい坂を上った。帰りは前にのめりそうで皆は歩いて坂を下ったが鄭牧師夫人は恐れずに乗り降りた。

埔里九二一大地震の後、埔里キリスト教病院は「愚人の友」を組織して、JOCSの派遣で来た大川さんと共に、各地の老人ケアセンターの活動指導と奉仕をした。玉蘭荘も鄭牧師夫人、葉陳恵蘭さん、蔡憶椿さんと荊妻が愚人の友のボランティアに手芸を教え、各地の老人達に教え、各地で作品展覧を催した。

鄭牧師夫人に対する思慕と感謝は尽きない。彼女のご冥福を主イエス様に祈り、天国で永遠の安らぎを享受される様に祈ります。
(常務理事)
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