一 枚 の 葉 書 か ら / 戴憲明-(144)

わが命を救ってくれた名も知らぬ
日本人名医への感謝状

テレビもラジオもないある山奥の村に、長く住んで居た家族がおりました。勿論、高層ビルを見た事はありません。ましてや、エレべーターは夢にも見た事がありませんでした。或る日、鉱山開発のため、開発業者が村の人たちをニューヨークに在る自社ビルへ招きました。一行はロビーに入って目の前にずらりと並んでいる幾つものエレベーターのドアが、開いたり閉まったりしているのを目にしました。その中のひとつをよく見ていたところ、ある老婦人が入り、暫くするとドアが又開いて、今度は若くて可愛い金髮美人が現れ、彼は驚き、隣に立っている息子に向かって、早くお母ちゃんを呼んで来て!と言いました......。

私自身も何度もドアを入ったり出たりした経験があります。 多分私の入ったドアは間違っていたんじゃないかと疑ったことがあります。実は私の出入りしたドアは病院の手術室のドアでした。私は心筋梗塞を患って以来三年間、何度もこのドアを潜りました。最初発病した年は台北の仁愛病院で、二年目、三年目は、林口の長庚病院で、心臓カテーテルをして頂きました。でも、うって付けの治療がなかなか見つからなかった為、私の健康状態は一向に改善しませんでした。そんなある日、一通の葉書が届き、そこには「来月、日本から心臓専門医がお見えになるが、診てもらいたいか」と書いてありました。早速主治医のところへ駆け込んだところ、先生も非常に勧めて下さったので、その場で申し込みの手続きを済ませました。二週間後入院し、翌朝早く、又あのドアを潜りました。コロンビア大学で心臓カテーテルの訓練を受けて帰って来た若手女性専門医が執刀して、日本人の心臓専門医も付き添い、二時間半もかかりましたが、全然通りませんでした。もう打つ手が無いかと思った時、その日本人専門医は日本から持って来た機材を取り出し、上下から(つまり手と太ももの血管に)差し込み、やはり二時間あまりの時間を使って、ついに貫通に成功しました。左側のモニターを見るとすべての血管が瞬時に赤くなりました。わたしは、これで救われたと感激の涙が出るぐらい、感謝の気持ちで一杯でした。

振り返ってみますと、これはまさに神のみ業です。神様からの特別な恵みに違いないとつくづく感じたと同時に、あの名前すら知らない日本人専門医のことは、一生忘れる事ができません。今日この様な楽しい日々を悠々自適に過ごせるのは、まさにあなたのお陰です。厚く御礼を申し上げる次第で御座います。
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