玉蘭荘との係わり  理事長退任の挨拶/理事長 蔡仁理-(146)

顧みますと二〇〇九年の春、私が突然玉蘭荘の理事長の責任を承ってからあっと言う間に六年の月日が過ぎ去りました。その間玉蘭荘の創立二十周年、二十五周年記念の大事な行事の関を越えて来たのが深く印象的に残るほか、理事長として余りにも責任を尽くさなかったこと、殊にここ最終の一年間は外出と五ヶ月余りの化学治療(chemotherapy)の長時間の妨げにて理監事会議も疎かになってしまった事を心深く遺憾に思い、退任に際しまして皆様に心よりお詫びいたします。

ご存知の如く、玉蘭荘は発足時よりキリスト教の博愛精神に基づき、日本語で以って台北界隈に於ける高齢者に憩いと意義ある活動の場を提供し、長年奉仕して参りました。参加者の多くが心身共に、また精神的(霊的)にも健康が与えられた事の体験が数多くの参加者の良き証しとして残されている事が、奉仕に携わる多く人達の喜びと祝福となっております。

短い時間でしたが過去六年の間、玉蘭荘との係わりを振り返りこの奉仕の参与が、五十余年の教会牧会生活後に神様から特別に与えられた晩年のボーナスだと信じて感謝しています。この六年来の玉蘭荘との係わりは真に私の人生経験の幸せで有り大きな祝福でした。感謝です。

牧師の癖で何か書けと言われたら、筆取れば、説教がましい事を書くので自分でも一寸気になりますが、因みに今週のGood TV(二〇一五年二月二十三日朝)の高雄の牧師の説教で、日本の渡辺和子(ノートルダム清心学園・理事長)の生涯を例話に半分以上の時間を占めていたのが印象的でした。それに私も渡辺理事長の著作の愛読者ですので、ここに少し書かせて頂きます。
話はさかのぼって、私がアジア太平洋地区の聖書協会の仕事で一九九七年春インドのバンガロウー会議に赴く途中、カルカッタに立ち寄りマザーテレサにご挨拶訪問致しました時、お話の前に私を日本人と間違えてマザーの助手が、「日本人の〝シスター渡辺〟が昨年十一月に(一九九六年)ここを訪れた」と言ったことを覚えています。それから渡辺理事長の本を数冊読み、ことに人間の係わりの大事なことについて「心に愛がなければ」、「愛をこめて生きる」、「人間としてどう生きるか」、「『ひと』として大切なこと」、「人をそだてる」、「美しい人に」、「置かれた場所で咲きなさい」(二〇一二年百万冊ベストセラー)などに示唆されて、色々と教えられ考えさせられましたので、その読書感動を摘出して、ともにこの晩年における私達の励ましと致したいと思います。

一、人間は愛され、人を愛して育てられる
「人はだれしも、愛し愛されたいと望む。そして、そうするに相応しい対象の出現を待ち焦がれているのだが、確かに、それより大切な事は、愛する対象を見出し、深く愛し、対象が奪われてもなお残る『愛する力』を自分の中に養い育てていくことではなかろうか。」私達は愛され、人を愛する幸いの中で育てられました事に感謝しなければなりません。玉蘭荘は高齢者のお互いの愛の憩いの場です。

二、私たちは人生舞台に於いて支えることに努力してきました。今は支えられる幸いを感謝で受け止めるべきです。
高齢者として過去を顧みるとき、私達は生涯、家族、社会を支えるべく自分の努力を尽くして来ました。退任、退職、老後引退の憩いに今は多くの支えられる身分になったとも言えましょう。

白髪は老人の冠-聖書(新共同訳)箴言十六章三十一節「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる。」
二十章二十九節 「力は若者の栄光。白髪は老人の尊厳」
例えば、近来地下鉄やバスに乗った時に、若い人が立ち上がり席を譲ってくれる事が多くあります。そのときには微笑んで高齢者の幸いとして受け止めるべきです。つくづく感じる事は、歩道を横切るとき支えてくれる孫の腕、持たされる肩の強さに喜びと支えられる幸いを感じていませんか?

三、常に美しい人で有るように暮らしましょう。
玉蘭荘に来て常に感じる事は皆さんがニコニコした、微笑んだ美しい顔で迎えられることでした。玉蘭荘荘歌の「いざや我が友、もろともに。歌を歌えば、疲れし心若返り、喜び満ちて笑みあふる...」この元気な歌声と「青い山脈」のメロディーに合わせての活発な開会時の体操は、すべての老人の抑鬱症を吹き飛ばす気合です。高齢者ともなると、やや憂鬱で、むっつりで疲れた顔をしがちです。聖書の中の「あなたたちは子どものようにならなければ天国へ入れない」と言うことばは「返老還童」、「童心未泯」の諺語(ことわざ) にもとづく真理です。子供心を取り戻すことは、すべての事に面して、ひねくれず純真な気持ちで受け止めることです。その様な気持ちで暮らせば、美しい人になれます。

マザーテレサの「愛と祈りのことば」の中の「何でもないほほえみが及ぼす効果には、計り知れないものがある。それは『美しい人』の麗しい生き方です。」

願わくば玉蘭荘が引き続き「美しい人達」の良き憩いの場であることを祈って、神様の豊かな恵み有らん事を...。

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