神の恵みはいとたかし   蘇慶輝 --112号

小学生の頃、私は人前で話すことが苦手でした。絵画と工作は得意でしたが、音楽と体操の成績がとても悪く、十点満点で五点しか取れませんでした。勿論、人前で歌を歌うのも大変苦手でした。


母は台南長榮高女出身で、当時の宣教師からピアノを習い、ピアノやオルガンが上手でした。彼女は教会で賛美歌の伴奏を担任し、またピアノやオルガンを教えていました。私の音楽の成績が悪かったせいか、母は私にピアノはおろか、楽譜の読み方や歌も教えてくれませんでした。あるいは当時男の子が音楽を習う必要はないと思われていたからかもしれません。私も進んで音楽を習わず、いつまでもうまく歌を歌うことができなかったのです。


聖歌隊で合唱するとき、私は歌いなれたテナーのメロディだけを歌い、低音のバスは私にとっては難しすぎました。私は音楽会も好きではありませんでした。ある年のクリスマス、台北で行われたヘンデルのメシヤの演奏会に家内が無理やりに私を連れて行きました。演奏会の途中で私は居眠りし、一度は隣の家内に起こされたのですが、私はやはり眠くて、鼾をかきながらまた寝てしまいました。それ以来、家内は二度と私を音楽会に誘わなくなりました。

キリスト教会は聖楽によって神を賛美します。信仰心を高めるためにも、よく聖楽を演奏し賛美歌を唄ったりします。普段歌っている賛美歌は良く覚えていますが、新しい賛美歌は難しくてなかなか歌えません。だから、私は簡単な賛美歌を歌うのが好きで、特に日本語の賛美歌492番が私のお気に入りです。

この賛美歌は「神の恵みはいとたかし」です。私はこの賛美歌がとても好きで、集会の度にこの曲を選びます。この讃美歌は覚えやすく、三番までしかなく、すべて「神の恵みは」から始まります。そしてそれぞれ、"いとたかし"、"いとふかし"、"いとひろし"と続き、あとは"ヘルモンの山にもまさり、高きかな"、"ガリラヤの海にもまさり、深きかな"、"アラビヤの原にもまさり、広きかな"で結び、非常におぼえやすい歌です。私はいつもこの賛美歌を歌い、感動しています。

ヘルモン山はパレスチナの最高峰で、山頂は一年中雪に覆われているそうです。ガリラヤの海はパレスチナ最大の淡水湖で、イエスが船の上に座って人びとに説教をしたとされ、聖書の中にもよくガリラヤの名が出てきます。アラビヤの原はイエスが伝道を始めたとき、まず四十日の断食祈祷を行った際に、悪魔に試されたところです。私もイスラエルに旅行したときにこれらの地を訪ね、感慨に浸りました。


私が花蓮港の美崙教会から台北城中教会に移転した折、家内のアドバイスで、牧師就任式では私達二人で一緒に賛美歌を歌いました。私達が選んだ賛美歌は「神の恵みはいとたかし」でした。そして、日本語の解らない方々にもこの詩の内容を解って頂けるように、この賛美歌を台湾語で歌いました。

私達はリタイヤされた駱先春牧師に手紙を書いて、この賛美歌を台湾語に翻訳することをお願いしました。駱牧師は台湾語、日本語、英語などが非情に流暢で、聖書に用いるギリシャ語も得意、その上音楽の才能もあって、多くの賛美歌を作詞作曲なさり、現在の台湾語の賛美歌にも駱牧師が作ったものが多数あります。駱牧師は台湾原住民への宣教にことのほか熱心で、アミ語の聖書の翻訳にも貢献されています。

私たちが城中教会の牧師に任式した頃、駱牧師はすでにリタイヤされ、お身体の具合も良くありませんでした。それにもかかわらず、駱牧師はすぐ私たちのお願いに応じて下さり、次のような美しい漢字の讃美歌を翻訳して下さいました。


  • 1. 上帝的恩惠慈悲 極高無處比 仰望高山嶺四邊 白雪滿遍是

透早黑門珊花開 日頭發光輝  這山高大人欣羨 主恩更較高

  • 2. 上帝的恩惠慈悲 極深無處比 海墘水退的沙硼 大湧潑在彼

黃昏加利利海岸 日光尚未散  這海雖深水長淹 主恩更較深

  • 3. 上帝的恩惠慈悲 極闊無處比 一望無記的沙漠 遙遠的荒埔

淒清阿拉伯曠野 月光在照射  這荒莫雖莽擴大 主恩更較闊


私達はその後もよく台湾語や日本語でこの歌を歌い、時には二人で合唱し、また時には独唱しています。この賛美歌は私たちを励まし、慰めてくれる、まさに私達の宝の歌です。もし日本語と台湾語の両方で歌えれば、この賛美歌の美しさを更に満喫できるでしょう。

                     (牧師)

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