人生は面白い旅/詹雪蘭-150

去年(二〇一五年)の一月四日、私は娘といっしょに劉碧雲様の紹介を受け玉蘭荘を見学しました。こんな年で会員に加入するのは遅すぎるのでは、と躊躇しましたら、けっして遅くないと言われました。私は早速賛助会員に加入することに決めました。先日、総幹事の渡部様から「会員になっての感想を書いてください」と言われました。
毎週二回、月曜日と金曜日の活動に通い始め、牧師先生の講義を聞き、日々が楽しくてはつらつとしてきました。また、大好きな英語と習字、色々な手芸、トールペイント、デッサン、塗り絵と折り紙があり、素晴らしい日々で、喜びでいっぱいです。こんなにたくさん習えるなんて贅沢です。

四十代の私は非常に活発でした。婦女会のメンバーで、香港ロータリークラブ・ゴルフコースでフレンドシップ・コンペに参加しました。二十人くらい参加しました。当日は素晴らしい天気で、軽快に試合を行いました。最後の晩はパーティがあり、華やかに幕を閉じました。一生忘れられない良い思い出です。それからの三十年を振り返ってみると、色々なことが走馬灯のように浮かんできます。

私は五十四歳の二月、寒波が台湾を襲った頃、突然激しい頭痛が起こり脳溢血(中風)で倒れました。完全にストレスでした。人事不省ですぐ台大病院に入院、三週間ICUで治療を受け、やっと目が覚めました。左側半身不随となっていました。特別病室に入り、必死にリハビリをしました。その結果やっと歩けるようになり、走ることも出来るようになりました。中風の後、主人と私はスケジュールを作りました。朝は六時半に家を出発し、雨の日も風の日も、お弁当を持ってバスに乗ります。信義線の最終バス停で降り、象山に行きます。外丹功をして、一時間ほどしてお弁当を食べて帰ります。毎日の森林浴は身体に十分な活力を与えてくれました。たまには朝一番の三一〇番や二六〇番のバスで陽明山に行き、公園で運動や食事をし、登山道を歩いたりもしました。時には温泉に入りました。この運動は何年続いたでしょうか。

その後台大病院の教授に、アメリカは気候が良いし、空気も澄んでいるし、健康にも良い所だからと勧められて、カリフォルニアに静養に行き、その後サン・ディエゴに定住しました。毎日天気が良く、教会で週一回英語の勉強があり、アメリカ人の良い教師に恵まれ、私は真面目に勉強しました。また他に週一回粘土細工を習い、イルカ、皿、ボール、時計、壁掛けなど、楽しく作りました。またダンスが好きで、ワルツ、タンゴ、ルンバ、チャチャチャなど、みっちり習いました。

いつの間にか七十五歳となり、私たちは台湾に戻ってきました。今、玉蘭荘に通い始め、毎日有意義に過ごしています。たくさんの感謝の思いでいっぱいです。二十六年間、先輩の方々の苦労と情熱が玉蘭荘を支えてくださいました。益々の発展を心からお祈りしています。

(会員)
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