高千穂丸の撃沈 (下) --113号

-台湾医学生帰郷途上の遭難-     郭維租


鉄の扉ついに開かれて

 昭和十八年一月十日頃、陰欝な毎日が続いていたが、この日は太陽が久しぶりに顔を出し、春のような日和で、しかも午後一課目が休講。同じ台湾から来ていた級友の林秋江君と共に、千葉の裁判所に勤めている法科の陳茂源先輩を訪問した。少し前に東京帝大関係の台湾人の同窓会で初めて陳先生に会ったが、むやみに酒を勧める事もせず、言葉は少ないが内容があり、何時か訪問してゆっくり話を聞きたいと思っていた。


 突然の訪問だったが、先生は大変喜んでくれた。そして、「ちょうどいい時に来た。実は後ほど私の先生、矢内原先生が来られる。四時に駅へ出迎え、付近の森に散歩に行く事になっている。」とのこと。思いがけない事にびっくりした。


 矢内原先生についての予備知識として、先生は著名な東京帝大の経済学教授であり、キリスト教徒の良心と、植民地政策の学問的信念により、日本の帝国主義、軍国主義を批判したところ、国家の前途を呪う非国民だとして糾弾され、教職を去らざるを得なくなり、今は野にあって、伝道に、講演に、著述に引き続き活動し、真理の為に奮闘しておられると、陳先輩が話してくれた。主要な著書は「帝国主義下の台湾」「満州問題」など植民政策に関するものと、「イエス伝」「ローマ書」「詩篇」などキリスト教関係のものがあった。


 実は台北の本屋で、岩波新書の先生の著作「余の尊敬する人物」を見かけ、パラパラ頁をめくってみたが、当時はまだ真理に対する目が開かれず、そのまま棚に返してしまった事を思い出し、残念だった。


 間もなく陳先輩と共に駅に行き、定刻に着かれた先生を出迎え、紹介して頂いた。先生は長身で痩せておられ、暗い面持ちであった。それは愛する祖国が破滅の坂を突進して転落するのを、必死で食い止めようとして能わず、無力感に打ちひしがれている者の悲哀であった。


 私達は初めて会った先生に日本の良心を発見し、よき師を与えて下さった神に感謝した。神の正義と審判、終局の救いについて、言葉少なに語られる先生の信仰に、全く引き付けられた。こうして先生について聖書の真理を学び始めたばかりだったのである。


 シュバイツアーは第一次世界大戦中、ガボンのオーゴエ河をカヌーで往診中、砂洲に戯れているカバの一群を見て、模索中の文化哲学の「鉄の扉が開かれて」「生命への畏敬」を啓示された。私は第二次世界大戦中、矢内原先生にお会いして聖書の真理を示され、人生観、国家観の「鉄の扉が開かれた」喜びに溢れた。そうだ、神は生きて今も全世界を支配しておられる。悪魔の跳梁も時間の問題、しかもごく数年の短期間だ。見よ、現に神に逆らう勢力は全面的に敗退し始め、裁判を受けているではないか。それにしても一般人民の犠牲が痛ましい。

 

 こうして私は船の中で「奉天三十年」と「水と原生林の狭間にて」を読んでいたのである。それなのに、その矢先船難に遭って死に瀕している。

 私は知って間もない神に向かって、「なにとぞ、この危機から救出したまえ」と切に祈った。信ずる事の難しさを体験したのである。


神の救い

 一昼夜、不眠不休で波風を相手に奮闘して、一同ヘトヘトに疲労、勿論飲まず食わずで・・・。二十日早朝、遥か南方洋上に一点の小島が見えた。「アジンコートだ。あと何海里だろうか。今日中にはあの島に漕ぎ着けなければならない!」航海に慣れた船員の声だ。「あんな遠くまで?」全く気の遠くなるような話。しかし助かるためには頑張らなければならない。


 明るくなってくると、多少希望も湧いてきた。具体的な目標もできて、一同は気を取り直し懸命に漕いだ。島はなかなか近づかない。夕方まで漕いで小島に大分近づいたが、あと一海里はある。力を振り絞って漕いだら十二本のオールのうち三本も折れ、しかも足を踏ん張るので船底が破れて海水が漏る始末。慌てて靴下やハンカチ、手拭で塞いだ。辺りも暮れかかり心細くなり、このまま海に沈むのかと空を見上げた。


 すると、見よ。島影からいくつもの灯りが出てくるではないか。漁船だ。助かりそうだ。しかしまだ相当距離があり、果たして我々の船を発見してくれるだろうかと、一抹の不安があった。声の限りに救いを求めた。

「助けてくれ! 助けてくれ!」

 一同あらん限りの声を張り上げて叫んだ甲斐あって、十数艘の漁船が我々のボートを発見し、すぐに近づいてきた。沖縄の漁船である。万一これらの漁船が通りかからなかったら、と思うだにゾッとする。

 本当に神の恵みである。人間の希望の絶えた所に神の救いがあった。一艘に十数名ずつ分乗させてもらい、夜明けに基隆に到着した。


 フラフラよろめきながら歩いていると、巡査がやってきた。


「おい、若いの、何だそのざまは!この戦時中に一晩中飲んで酔っ払って、けしからん!」


「いや、違います。船が撃沈されて、やっと助けられた所です。」

「何だと、もう一回言って見ろ!酔っ払ってでたらめ言うな!帝国海軍が守っているのに、船が撃沈される筈なんかない!」


と全く相手にしてくれない。処置なし。巡査は殴りかけたが、それでもひょっとすると本当かもしれぬと思ったのか、「とにかく派出所まで来い」と言われ、一同またフラフラとついて行った。


 結局、これは大事件なので、社会に対する衝撃が強いということで、そのまま一週間監禁されてニュースを封鎖、やっと解放されてめいめいの家に帰された。


あとがき

 結局ボートは二艘助かり、二四八名が生還。実は三艘目のボートは途中で転覆し、只一人後から軍艦に救助されたとのこと。


 この遭難で一〇〇〇名以上の犠牲者が出た。私達は九死に一生を得て、三日目に基隆に辿り着いた。まったく神の恵みであり、私は文字通り太平洋で丁寧な洗礼を受けたのである。


 奇跡的に助けられた私は、この大いなる恵みに感謝し、与えられた才能を多くの民のために用い、神の愛を分け与える医師になりたいと決意して、再び東京帝大に戻った。そして戦後国籍が変わって台湾に帰り、シュバイツアーにあやかって、都市の中のジャングル・ドクターとして民衆の医療に励んできた。

                   (講師・元理事)

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