神から注がれる愛を知る時/カフェ・チャーチ 台湾日本語聖書教会牧師 陳加壽子-150

私達は、人から大切にされたい、認められたい、愛されたいと願います。それは、幸せを感じるからです。自分が愛されるべき、「大切な存在」だと、自分の価値を確認できる事は、生きる動機に繋がります。私達に前を向かせ、希望を持たせます。しかし、自分を「大切な存在」だと思えない時が私達にはあります。そんな私達へ神様は語り続けておられます。

「私の目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」  (新改訳聖書イザヤ書四十三章四節)
「神は、実に、ひとり子をお与えになったほどに世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びる事なく、永遠のいのちを持つためである。」(新改訳聖書ヨハネの福音書三章十六節)

ノン・クリスチャンの家庭で育った私ですが、小学生の時からお祈りをしていました。それは、両親の喧嘩が絶えなかったからです。「神様、お父さんが怒っています。お母さんが泣いています。怖いです!悲しくてたまりません!お願いだから、これ以上、お父さんとお母さんを苦しめないで下さい!」 これが私の祈りでした。

そして「何故、お父さんと、お母さんは仲良くできないんだろう?」と、いつも考えていました。ある日、私が生まれる前の家族写真を見つけました。両親と姉の三人が写った写真です。私の姿はありません。私の目は、幸せそうに笑う両親の姿に釘付けになりました。それは、両親の、怒りと悲しみに震える顔ではなかったからです。
「ああ、お父さんとお母さんは、昔、こんなに幸せだったんだ。」「私が生まれてきたから不幸になったんだ。だから喧嘩をしているんだ」と、思いこんでしまいました。「お父さん、お母さん、何も知らずに、ごめんね・・・」と、私は悲しくなりました。私はその事を誰にも言えず、ただ、これ以上、両親に嫌われないようにと心がけました。

当時、両親を喜ばせるために練習していたピアノは、この時から私の慰めとなりました。この誰にも言えない気持ちを、言葉にできない思いを全て、ピアノが吸い取ってくれるようでした。ピアノを弾く事で、私の心の健康は保たれました。しかし、必死だったため、自分が傷ついている事を知らないまま中学生になり、虚しさをも抱くようになっていました。そんな私に、イエス・キリストは、聖書を通して語って下さいました。
「悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。」       (口語訳聖書マタイ五章四節)
 
衝撃でした。イエス様は、悲しんでいる者は幸いだと、おっしゃたんです。え?私が幸い?何故か?それは慰められるからだと。私の人生は今までも、今日も明日も、大人になってからも、ずっと悲しい、寂しいままだ。悲しんでいる者は幸いなんかじゃない、惨めだ、不幸のままだ。でも仕方がないんだと、自分に言い聞かせ、あきらめの人生を送っていました。そんな私に主は、はっきりと「あなたには私がいる。私があなたを慰める。だからあなたは幸いだ」と、語って下さいました。

私はイエス・キリストの腕の中で、泣き続けました。悲しかったからではありません。イエス・キリストが、聖書の約束通り、私を本当に慰めて下さったからです。やっと泣いてもいい場所が見つかった。信じられる存在が見つかった。そして、このイエス・キリストなら、私の事を解って下さる!そう確信しました。

その後、大学時代に、ある方の死を通して、自分の罪を知りました。イエス・キリストは、私をその罪から救うために、十字架でいのちを差し出して下さった。この方が、それほどまでに私を価値ある者として、愛して下さる事に、打ちのめされました。私にできる事、それは、ただ感謝して、注がれる愛を受け取る事だけでした。

私はイエス・キリストを「私の救い主」として、心に受け入れました。私の罪を背負って十字架で死なれたイエス・キリストは、三日目に復活し、いま私の心の中におられます。古い私は死に、永遠のいのちの希望をいただき、新しい人として、イエス・キリストと共に、新しい人生を歩んでいます。

聖書には、人を愛しておられる神様からのメッセージがあふれています。ですから、聖書の御言葉は人を生かします。その愛に触れる時、傷んだ心が、疲れた心が、癒され、回復されます。力を得ます。聖書を良く知らない中学生が、神様からの言葉に触れた時、変えられました。悲しみと寂しさの中にいた筈なのに、気がつくと慰めと平安の中にいました。

神様の愛を受け取った時、両親が私を大切に思っている事がわかりました。私に辛く当たったのは、心が疲れていただけでした。そしてその後、両親もイエス・キリストを心に受け入れました。玉蘭荘の皆様が、また神様がお造りになった全ての人が、自分に注がれているキリストの愛を、しっかりと受け取り、それに応える事ができますように。
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