私のアコーディオン人生/牧師 廖正行-151

幼い頃、私は西螺という小さな町に住んでいました。ある時、宣教師と仲間のグループが市場の空き地に大きなテントを張って、毎日伝道のイベントを行っていました。そこでは一人の人がアコーディオンを演奏し、それに合わせて人々が賛美歌を歌っていました。そのアコーディオンの優雅な音、右手が奏でるメロディーと左手のボタンから出る和音、そして蛇腹で刻まれるリズムに、私はすっかり惹き込まれてしまいました。

十六歳になった年、私はあるキリスト教会のサマースクールに参加し、イエス様のお招きに応じて長老教会の新竹聖書学院へ入学することを決意しました。在学中、また教師がアコーディオンを背負って田舎へ行き、野外伝道集会を行うのを見ました。私たちもたびたびそうした集会に参加して、伝道の仕事を手伝いながら賛美歌の指導法を学びました。そして宣教師が帰国されると、私にその伴奏の役目が回ってきました。初めはただ右手でメロディーを弾くだけでしたが、徐々に左手の和音伴奏も覚え、一、二年後には簡単な賛美歌なら自由に伴奏できるようになりました。
新竹聖書学院を卒業すると、私は教会に派遣されて奉仕の仕事をはじめました。教会にはアコーディオンはなく、オルガンしかありませんでしたので、仕方なくオルガンを毎日練習しました。私はアコーディオンを買いたいと思いましたが、どこで売っているのかもわからず、たまに偶然見かけても、値段が驚ディオンの値段は中国製でも一台二万元ほど、単純に計算しても月給の約三倍です。とても手が出ませんでした。それからずいぶん経って五十歳近くになり、経済的にも余裕が出てきたころ、私はついに一台の中国製アコーディオンを買いました。しかし当時台湾にはまだアコーディオン用の楽譜がなかったので、ちょうどドイツに留学中の息子に楽譜を送ってもらい、それから独学でアコーディオンの練習を始めました。私は学生時代から音楽が好きで、オルガンもアコーディオンも一生懸命練習していましたので、音楽の基礎技術はもう十分にあったと思います。

 それから二、三年間練習に励んで自信をつけ、クリスマスの集会、教会の野外礼拝などで演奏を披露するようになりました。アコーディオンは持ち運びが便利で、その音色も美しく豊かです。演奏の機会は徐々に広まり、他の教会の集会や結婚披露宴にも招かれるようになり、特にお葬式での伴奏は皆さんに喜ばれました。そうしているうちに、こんどは私の演奏を聞いた何人もの人に頼まれて、アコーディオンを教えるようになりました。更に政府の依頼で児童視力障碍基金会を訪れ、目の不自由な学生や大人にアコーディオンを教え、ストリートパフォーマーの資格が取れるまで指導しました。また台湾神学院音楽系の講師も務めました。

 私は規模の大きな数々の集会でもアコーディオン演奏をさせていただきました。雙連長老教会、馬偕病院、三芝の雙連老人ホームのほか、各中会の霊修会や、毎年平安園で行われる連合追悼礼拝にも招かれて、演奏を披露しました。私のアコーディオン演奏は、町角で見られるようなパフォーマンス演奏とは違い、教会の礼拝の一部としての役割を持っています。私はかつて台湾キリスト長老教会総会のオープニングセレモニーでアコーディオン司会の役目を果たしたことを、一生涯の誇りとして心から神様に感謝しております。

 私は今でも毎日アコーディオンを練習しています。また、指導もしています。生徒は老若男女を問わす大歓迎です。アコーディオンの練習はとても楽しく、困難にぶつかっても、努力すれば必ずそれを乗り越えることができます。そうして上達していくことが心身の健康にもつながり、また脳と手を同時に動かすことで体全体の動きも俊敏になります。そしてなによりも、美しいアコーディオンの音色は最高の心の癒しになるのです。

(アコーディオン演奏講師)
(陳旭星、重金優子翻訳)

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