「日本人を必要としている場」が台湾にあるということ=玉蘭荘のボランティアを通じて=/清岡康枝

「若く明るい歌声に...」声高らかに歌い、手を振るお姿を初めて目にし、目頭があつくなったあの日から、早いものでもう七年。きっかけは、日本人会婦人部役員からのご縁でした。そのありがたいご縁のおかげで現在に至るまで玉蘭荘でボランティアとしてご奉仕させて頂いております。

玉蘭荘は、日本統治時代に日本の教育を受けてこられた台湾の方々や、日本婦人を中心とした、共に日本語での歌や学びや、より豊かな老後を送るための活動を続ける団体です。私も日常ボランティアのほか、月に一度、簡単な絵の講師としても活動のお手伝いをさせて頂いております。

若き輝く時代に日本の教師からの教育を受け、日本の文化と共に日本語で育った方々。その時代が一番自分にとって大切だったとお話しされる方。「その頃はね、私は日本人だったの」と、キラキラした目でお話しされる方。様々な方との出会いがありました。

 以前、私の絵の講座に欠かさずお見えの九十歳過ぎの男性がいらっしゃいました。体力的にもかなりのご高齢で、椅子から立ち上がるのもやっとなご体調の時もありました。それでも講座には一度たりとも欠席せず、昼食後の賑やかな歓談の中でも一人静かに必ず一番に授業の席に着き、また授業が終われば、おやつに配られたご自身のお菓子を私のエプロンのポケットにグイと押し込み、恥ずかしげに目を伏せたままヒョイと片手を挙げながら、さりげなく帰路へと向かう...それがその方のジェントルマンな素敵な計らいであり、そして講師に対する私へのありがたい感謝のお気持ちでもありました。私はその方のあたたかな優しさが大好きでした。その方が以前におっしゃった言葉で、私の心に突き刺さった言葉があります。それはいつだったか...彼が突然「ここに来て日本の人を見ているだけでもとても嬉しいんです」とおっしゃったことでした。

 当時今のような台湾ブームはなく、駐在として住み始める以前は私自身もお恥ずかしながら、台湾の統治時代を詳しく知るどころか、台湾の場所すらおぼろげでした。そんな私にとって、日本人に対する愛情深いその方の感情を知ることは、衝撃以外の何物でもないことでした。

 日本語で学び育った時代が、今の自分を形成したとお話しされた方もいらっしゃいます。自分がまじめで忍耐強いのは日本教育を受けたからだとお話しされる方もいらっしゃいます。そしてまた自分は日本人とされながらも、本土の日本人との差別は受けていたのだと、聞き手の自分が申し訳なくなるようなお話しもお伺いしたことがありました。
     
- 中略 -
 「玉蘭荘は家族と同じ」とお話しされる方、「自分の生きる綱」とおっしゃる方...。

私たちが計り知ることの出来ないほどのたくさんの深い思いが、この玉蘭荘にはあるのです。

 この素晴しいご縁に恵まれましたことを心から感謝いたしております。私も年を重ねたいつか、明るく元気で前向きな玉蘭荘の方々のようなお姿に少しでも近づけておりますように。

玉蘭荘の皆さんの生きる姿勢は、私にとって永遠のお手本なのです。

(日本人会月刊誌「さんご十二月号」に掲載された文章より)
評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 1365