水和さんの思い出/重金優子

今から二十年ほど前、私が玉蘭荘に来たばかりのころです。当時水和さんは七十歳になるかならないかくらいで、玉蘭荘の会員さん達の中では一、二を争う《若手》さんでした。もちろんフットワークもとても軽くて、活動日には、年上で足の悪い会員さんのお茶を入れに行ってあげたり、玉蘭荘で注文するお弁当では多くて食べきれないという人のために、外までお弁当を買いに行ってあげたりしている姿をよく見かけました。若い男性の会員が少なかったせいもあってか、水和さんにお手伝いを頼んでいる《お姉様方》は、彼のことを《玉蘭荘のぼうやちゃん》と呼んで可愛がっておられました。そして「ぼうやちゃん、お願いね」と言われると、水和さんはさっと立ち上がって部屋を出ていくのでした。

戦時中は日本帝国海軍に身を置いていたという水和さんは、とても義理堅くて、玉蘭荘でも同郷の先輩が参加される日には必ずご自分も参加されていましたし、可愛がってくれた《お姉様方》が召された時も、体の許す限り葬儀に参列してお見送りされていました。その一方で曲がったことが大嫌いで、ケンカっ早いのがたまにキズ、怒った時には上官のようにビシッと大声を出すので、周りの人までびっくりしてしまう事もありました。もっとも、怒りんぼうなところはご本人もちょっと反省されていたようですが。

 また、水和さんは人見知りな所があったようで、普段玉蘭荘では、ちょっと不愛想で口数の少ない印象が強かった様に思いますが、実は冗談が大好きで、親しいボランティアさんには、時々さりげなく面白い冗談を言って笑わせてくれることがありました。真面目な顔で近づいてくるので、何か真面目な話があるのかと思っていたら、その真面目顔のままボソッとジョークを落としてくるのです。「やだ、水和さん!」笑いながら肩を叩くと、してやったりと言わんばかりにニヤッと笑い、そのまま自分の席に戻っていくのでした。

そんな意外とお茶目な《ぼうやちゃん》も、気づけば九十歳、玉蘭荘会員の平均年齢(現在は約八十一歳)も随分前に追い越して、いつの間にか在籍二十余年の《古株さん》になっていました。今、水和さんをお見送りして、こうして思い出をつづりながら、時の流れの速さを実感しています。

きっとあちらでは《お姉様方》が、《ぼうやちゃん》の到着を待っていてくれたでしょうね。そして、「あの頃は色々手伝ってくれてありがとうね」とお礼を言ってくれたかしら?それとも「ああ、やっと来てくれたのね、これからまたお願いね!」なんて言われたかしら?

「ぼうやちゃん、ありがとう」と言われてちょっと照れくさそうに笑う水和さんの顔が思い出されます。

水和さん、お疲れ様でした。そちらの《お姉様方》によろしくね。 (ボランティア)
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