希望は失望に終わらない/基督聖協団 宣教師 松本望美

私が初めて台湾にやってきたのは、二十数年前のこと。

当時、教会学校を担当していたのですが、夏休みに「アジアの国を見てみよう!」という企画を企て、小学校三年生から中学一年生の子供五人と一人の神学生を助手につけて、台湾にやってきました。

子供にとっては初めての海外。日本との文化の違いに目を見張りながらも、初めての夕食の担々麺をお代わりし、現地の教会で讃美したり、楽しんでいました。困ったことは、ふらりと寄った市場でのこと。「望美先生、あそこで売っている亀を日本に持って帰りたい。」「僕はあそこで売っているニワトリをペットにしたい。」と言い出す始末。スーパーでしか買い物したことのない子供たちにとって、市場は新鮮だったようで、合唱のように「先生~、日本に買って帰ってはダメ~?」とだだをこねられたことを思い出します。

一九九九年の台中の大地震の時、私の親友はすぐに日本から台中入りしました。そんな彼女から「すごいんだよ!台湾には日本語ぺらぺらな台湾人のおばあちゃん、おじいちゃんがいっぱいいるんだよ!」と驚きながらの連絡が来ました。その後、彼女は台湾への宣教師に志願しましたが、神様の御心は違ったようで、日本で牧師と結婚して山形に嫁ぎました。

それから五年も過ぎた頃、私は韓国で宣教師として働いていました。日本の教団から「毎年恒例の台湾宣教チームの人数が足りないので、韓国から参加してくれますか?」と連絡が来ました。韓国の仁川空港からすぐに台湾に入りましたが、反日の韓国とは違い、日本人に対してなんと優しい国か!私たち日本の聖教団と姉妹教会の台湾の教会がアレンジしてくれる病院や学校との交流をする中、日語教会の臼杵みどり先生から玉蘭荘をご紹介戴きました。数年前、友人が叫んでいた「すごいんだよ!日本語ぺらぺらなんだよ!」という言葉が実体となって目の前に現れて数年後、同じ日本語で心の隅まで感情を言い表される台湾人の方々。

神様の心がある所に私の心があるように...といつも願ううちに、神様が私に台湾への思いを強く与えられ、私はただ神様に従うのみ。そのうち台湾に数か月間ずつ滞在することに導かれましたが、一番の問題は住居の問題でした。しかし、ある教会の姉妹が「よかったら、私の家を使ってください。」と声をかけてくださり南港へ、次の姉妹は民権西路、そして何年か前からは、戴憲明さんがお持ちになっている億ション(!)、そして玉蘭荘に行くには一番便利な永安市場駅から徒歩五分の立派なお部屋を貸してくださいました。

「主に信頼する者は、失望させられることがない。」ローマ十章十一節

ある人は私のことを渡り鳥のようだと言いました。ズバリ!だなと思います。ただ神様の示されるまま、導かれる場所に行けば、神の国の福音を語るべき人を教えてくださいますので、私は語り、祈るのみです。何人もの人がイエス様を受け入れ、洗礼を受け、天国に名前が記されたことか。どんなに天国の希望を与えられたことか。

戴さんのお父さんは日本時代に陸軍の兵隊でご苦労なさって、戦地で銃撃を受けたにもかかわらず、命は守られて帰還。その何十年後に日本人の私からイエス様の福音を聞いて、信仰を持ち、天国にお帰りになられました。ある人とはベッドのわきで讃美歌を歌い、ある人からは人生で初めての形見分けをいただきました。また昏睡状態の中の人とは耳元で「また天国で会おうね!」という約束をします。

「この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」         ローマ五章五節


人生は想定外の連続です。神様が私たち一人一人に完璧なご計画をお持ちです。台湾との出会いから二十数年。いつしか一年に何度か台湾と日本を往復し、台湾人とはまるでご近所付き合いのように親しくなり、玉蘭荘に入れば親戚づきあいかそれ以上の親しさを感じ、ともに笑い、ともに歌い、ともに祈る関係となった恵み。今では山形の牧師に嫁いだ親友に台湾のお土産を送り、「すごいんだよ!台湾にたくさんの親戚や家族ができたんだよ!」と毎回、伝える私。

「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
コリント人への手紙第一 二章九節
神様は、非日常的なことをなさいます。私たちの常識が1+1=2ならば、神様は1+1=3もしくは5、もしくは百をされる。私たちは目で見える世界がすべてであると常識的に考える。けれども、目に見えない世界がある。神様が恵みと愛をもってご支配しておられる天の世界がある。そして、私たちはイエスキリストの十字架と復活を通して、その天におられる神に祈り、つながることができるのです。

今日も「私はあなたを愛している。」とそばで語られるイエス様がおられます。

神様の豊かな愛と恵みが玉蘭荘の一人一人にありますように。


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