「主われを愛す」讃美歌に親しもう/講師 山路譲
editer: 玉蘭莊 date: 2017-10-25 01:44
讃美歌の「主われを愛す」は、現在も多くの方に歌われています。
「主われを愛す」(しゅわれをあいす、英語: Jesus loves me, this I know)は日本に最初に翻訳された讃美歌の一つであり、教会学校やキリスト教主義幼稚園でよく歌われる讃美歌です。原作者は、アンナ・ウォーナー(Anna Bartlett Warner一八二〇~一九一五)です。姉のスーザン・ウォーナーと共にコンステテューション島に住み、アメリカ士官学校の生徒のために、約六十年間バイブル・クラスを開いて宗教教育を行いました。この讃美歌の元々の歌詞(英語)は一八六〇年に出版されたアンナ・ウォーナーの小説「Say and Seal(一八六〇)」の第二巻八章の一節です。主人公の少女フェイスが見守るなか、天に召されようとする幼いジョニーの口から漏れ聞こえる歌であり、その後、ウィリアム・ブラッドベリー(William Batchelder Bradbury/一八一六~一八六八)が一八六二年に曲をつけて、アメリカ全土に普及して、子供の愛唱歌になりました。
英語の歌詞:
Jesus loves me! This I know,
For the Bible tells me so.
Little ones to Him belong;
They are weak, but He is strong.
Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
The Bible tells me so.
この英語の讃美歌が、明治以降、日本に入ってきます。日本にプロテスタント宣教師が渡来したのは、一八五九年です。一八七二年横浜で開かれた第一回宣教師大会の時に、ジェームス・バラが讃美歌の翻訳案を提示したのが最初のプロテスタント讃美歌であるといわれています。一八七二年の第一回在日宣教師会議で、米国婦人一致外国伝道協会の宣教師ジュリア・ニルソン・クロスビー(Julia Neilson Crosby/一八三三~一九一八)によって「主われを愛す」の日本語翻訳が発表されました。その時の、日本語訳は次のようなものです。
エスワレヲ愛シマス。
サウ聖書申シマス。
彼レニ子供中。
信スレハ属ス。
ハイエス愛ス。
ハイエス愛ス。
サウ聖書申ス。
現在、私たちが歌っている歌詞とは、かなりの違いがありますが、曲中の「ハイエス愛ス」と明治時代の人が歌ったとき、あまりにもハイカラ過ぎで、照れくさかったのではないでしょうか?
この「主われを愛す」のメロディーは、政府が進め編纂した唱歌の中にも取り入れられていきます。明治二十六年には唱歌「運動」、明治後期には唱歌「虹」など、日本でいくつかの唱歌に用いられて親しまれてきました。
この「主われを愛す」は、ある童謡とよく似ているといわれています。それは、一九二三年(大正十二年)に中山晋平の「童謡小曲」に発表にされた、野口雨情作詞・中山晋平作曲「シャボン玉」(しゃぼんだま)です。中山晋平は、「証城寺の狸囃子」や「黄金虫(こがねむし)」なども作曲しています。
「シャボン玉」のメロディーが「主われを愛す」の曲調と非常に良く似ていることは結構有名ですが、実は似ているのは意外にもメロディーだけではありません。
「シャボン玉」の作詞者である野口雨情は、明治四十一年に長女みどりを、生まれてすぐに亡くすという体験をしています。はかなき幼い命への切ない想いが「シャボン玉」の歌詞に込められていると言われています。「主われを愛す」の原詩も上に記した様に、若くして亡くなった少年の話であり、「消え行く幼き命への祈り」という点が共通しています。野口雨情、または中山晋平が、この原詩のストーリーを知っていたのかについては定かではありませんが。
一つの讃美歌が、海外から日本に入り、唱歌、童謡にまでいろいろな影響を与えていることに興味深いものを感じませんか?
「主われを愛す」(しゅわれをあいす、英語: Jesus loves me, this I know)は日本に最初に翻訳された讃美歌の一つであり、教会学校やキリスト教主義幼稚園でよく歌われる讃美歌です。原作者は、アンナ・ウォーナー(Anna Bartlett Warner一八二〇~一九一五)です。姉のスーザン・ウォーナーと共にコンステテューション島に住み、アメリカ士官学校の生徒のために、約六十年間バイブル・クラスを開いて宗教教育を行いました。この讃美歌の元々の歌詞(英語)は一八六〇年に出版されたアンナ・ウォーナーの小説「Say and Seal(一八六〇)」の第二巻八章の一節です。主人公の少女フェイスが見守るなか、天に召されようとする幼いジョニーの口から漏れ聞こえる歌であり、その後、ウィリアム・ブラッドベリー(William Batchelder Bradbury/一八一六~一八六八)が一八六二年に曲をつけて、アメリカ全土に普及して、子供の愛唱歌になりました。
英語の歌詞:
Jesus loves me! This I know,
For the Bible tells me so.
Little ones to Him belong;
They are weak, but He is strong.
Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
Yes, Jesus loves me!
The Bible tells me so.
この英語の讃美歌が、明治以降、日本に入ってきます。日本にプロテスタント宣教師が渡来したのは、一八五九年です。一八七二年横浜で開かれた第一回宣教師大会の時に、ジェームス・バラが讃美歌の翻訳案を提示したのが最初のプロテスタント讃美歌であるといわれています。一八七二年の第一回在日宣教師会議で、米国婦人一致外国伝道協会の宣教師ジュリア・ニルソン・クロスビー(Julia Neilson Crosby/一八三三~一九一八)によって「主われを愛す」の日本語翻訳が発表されました。その時の、日本語訳は次のようなものです。
エスワレヲ愛シマス。
サウ聖書申シマス。
彼レニ子供中。
信スレハ属ス。
ハイエス愛ス。
ハイエス愛ス。
サウ聖書申ス。
現在、私たちが歌っている歌詞とは、かなりの違いがありますが、曲中の「ハイエス愛ス」と明治時代の人が歌ったとき、あまりにもハイカラ過ぎで、照れくさかったのではないでしょうか?
この「主われを愛す」のメロディーは、政府が進め編纂した唱歌の中にも取り入れられていきます。明治二十六年には唱歌「運動」、明治後期には唱歌「虹」など、日本でいくつかの唱歌に用いられて親しまれてきました。
この「主われを愛す」は、ある童謡とよく似ているといわれています。それは、一九二三年(大正十二年)に中山晋平の「童謡小曲」に発表にされた、野口雨情作詞・中山晋平作曲「シャボン玉」(しゃぼんだま)です。中山晋平は、「証城寺の狸囃子」や「黄金虫(こがねむし)」なども作曲しています。
「シャボン玉」のメロディーが「主われを愛す」の曲調と非常に良く似ていることは結構有名ですが、実は似ているのは意外にもメロディーだけではありません。
「シャボン玉」の作詞者である野口雨情は、明治四十一年に長女みどりを、生まれてすぐに亡くすという体験をしています。はかなき幼い命への切ない想いが「シャボン玉」の歌詞に込められていると言われています。「主われを愛す」の原詩も上に記した様に、若くして亡くなった少年の話であり、「消え行く幼き命への祈り」という点が共通しています。野口雨情、または中山晋平が、この原詩のストーリーを知っていたのかについては定かではありませんが。
一つの讃美歌が、海外から日本に入り、唱歌、童謡にまでいろいろな影響を与えていることに興味深いものを感じませんか?
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