エノクに学ぶ人生の軌跡/理事長 都丸正夫

エノクは創世記五章二十一-二十五節にアダムから数えて第七代目の人物として登場しています。その記載の中で、特筆すべきなのは、彼が死を経験することなく(へブル十一:五)、天に取られたと描かれている事です。

彼の生涯を聖書は、「神と共に歩んだ」人として紹介しています。その生涯を通して神と共に歩んだとはどういうことでしょうか?彼が最後に残した足跡(legacy)とは、何だったのでしょうか?
私たちは老いて、やがてこの世を去る時が来ますが、その時ひとは私たちの生涯を見て、どのように表現するでしょうか。また、どのように表現されたいでしょうか。私たちが次の世代に残せるもの(legacy)とは?

  年老いて、しらがになっていても、
  神よ、私を捨てないでください。
  私はなおも、あなたの力を次の世代に、
  あなたの大能のわざを、
  後に来るすべての者に告げ知らせ(る使命
  を全うするまでは)ます。
  (詩篇七十一:十八)
 
どんなに年を取っても、私たちには、神から与えられている
使命があると詩篇の作者は訴えています。

エノクの生きた時代は、ますます神を信ぜず、邪悪の道へと突き進んでいきます。彼の三代後のノアになると、その時代の人々を見て、「主は、地に人を造った事を悔やみ、こころを痛められた」(創世記六:六)と聖書は記しています。そんな時代の中で、流れに竿をさして、生きるのは並大抵な事ではなかったことでしょう。ですから、「神と共に歩んだ」とは、神様からの最高の褒め言葉なのです。

「神と共に歩んだ」について、考察してみましょう。第一に、神に全き信頼を置き、一切の犠牲を払って歩んだのです。その生き方には、「キリストには代えられません、世の宝もまた富も、このおかたが私に代わって死んだゆえです。」という賛美歌の言葉を思い起こさせます。第二に、神から離れたら、自分の生命は死んでしまうとの認識をもって、神との生命共同体として歩んだのです。ヨハネの福音書では、生命共同体のことをこのように説明しています。

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。(ヨハネ十五:五)

第三に、「神と共に歩んだ」を、七十人訳(ギリシャ語訳)旧約聖書では、「神を喜ばせた」と訳しています。ヘブル十一:五にも、エノクを神に喜ばれた者として紹介しています。ですから、神と共に歩むとは、神を喜ばせる生き方をしたということでもあります。神を喜ばせる生き方を、つぎの六節で、説明していますが、「信仰」が必要不可欠と宣言しています。神を信じないエノクの時代であったからこそ、信仰を持って生きることが、どんなにか神をよろこばせたことでしょうか。

私たち一人一人歩んできた人生の最後の軌跡は、何を残す事でしょうか?エノクのように、生涯を通して「神と共に歩んだ」という軌跡を残したいものです。

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