二〇〇八年新年のご挨拶  許石枝 --115号

「歳月人を待たず」とよく言われます。時間が過ぎ去るのは矢の如しです。昨年の正月を迎えたのが昨今のように感じますが、瞬く間に一年過ぎて二〇〇八年の正月が訪れて来ました。新年を迎えるにあたり、私達は計画と検討が必要です。去年の年の初めに立てた目標は達成できたでしょうか?健康は何点ですか?頑固爺、ガミガミ婆を脱して、誰にも歓迎される老人になったでしょうか?個人の計画、検討はさて置き、先ず玉蘭荘の今年の目標を決めましょう!我々老人は孤独であってはならない、独り寂しく暮らしている老人を見る毎に私達は玉蘭荘に参加してよかったとつくづく思います。終日家にいれば、話し相手がなく、活動する機会もなし、新聞、テレビに明け暮れる日々はこれからどれほど残っているか、知らない晩年を過ごす寂しさ、やるせなさを感じます。此処に来れば大勢の友人と交わり、牧師の説教に耳を傾け、聖書を読み、讃美歌を歌って心を鎮めて正しい信仰に向かうことが出来ます。


 使わない刀は錆び、使わない頭脳は退化する。我々は頭上に銀髪を戴き、顔には皺生じて鏡見るのもいやになる、誰でも経過せざるを得ない人生コースだと思えば、如何にして老いの訪れを遅らせるのが大事かと思います。玉蘭荘の活動には色々な学習チャンスがあります。この機会をしっかりつかんで余


生を楽しく有意義に過ごしてゆくべきでしょう。それには自我を棄てみなが団結すべきだと思います。なくて七癖と言われるように誰にも癖があり、好き嫌いがあります、個人の癖をなるべく自制して人と交われば摩擦がなくなり、団体活動がスムーズに運行できるのです。個人の好き嫌いは自粛する必要があります。この活動に己の好き、嫌いと自我を張れば和が崩れます。


玉蘭荘はみなの協力と融和によって、創立してから十九年目に入ります。この長い間みなの和で結ばれてきました。玉蘭荘が今後も続いてゆくには会員が規約を守るのが肝要でしょう。


十八年来、健康上の原因で家や養老院におられる方、亡くなられた方もあります。彼らに比べると私達はどんなにか幸福だと思いませんか?『福中不知福』とよく言われていますが、その通りではないでしょうか。


人間いつ何時どんな事が起きるか誰も知りません、現在玉蘭荘の会員で病気や突然事故で来られない方が数人あります。不可抗力なら止むを得ませんが、不注意の原因で怪我して来られないのは本当に気の毒です。老人は動作が遅く、視力、聴力も退化していますから、平常から注意すべきです。歩くときには転ばないように、交差点では車によく注意してから通る、車の上では安全第一を必ず守る、自分の家の中でも滑らないように心がける等...例えるにいとまがありません。


 今年は無事息災で平安な毎日であるように神様に祈り、無事を感謝して、玉蘭荘の集いがいつ何時までも続くように心と力を一致して頑張りましょう!

謹んで新年の挨拶を申し上げます。            (理事長)

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