徳を心に留めなさい/台灣基督長老教會 濟南教會 牧師 黃春生

フィリピの信徒への手紙第四章八~九節

「最後に、兄弟たちよ、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なこと、また徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。

わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」
この一年あまり、私の従弟龔昭勳の通訳を通し、神のみ言葉を玉蘭荘の皆さんと分かち合うことができ、とても嬉しく感じております。玉蘭荘では台湾の日本文化が息づいており、懐かしい人や出来事に出会うことができます。そこで思い起こすのは、使徒パウロが聖書の中で述べた「徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」という教えです。それらはまさに私たちの人生において最も価値のあるものなのです。

二〇一五年十一月十四日、ある九十歳を超えたおばあさんが七十歳の娘に連れられて、日本から台北の濟南教会へやって来ました。彼女は幼い時に撮った一枚の写真を手に、台湾の思い出の地を尋ねて来たのでした。教会で、彼女は私に写真を見せてくれました。彼女がこの教会の学校で学び、礼拝を受けていたことを示すその写真の裏には一九二九年三月三十一日、ちょうど復活日(イースター)の日付が書かれていました。彼女の人生の一番大事な思い出が、その写真に残されていたのです。彼女は礼拝堂の裏手にある日曜学校の教室の前まで行くと、「ここは私が勉強した場所でした。」「ここへ来るのはこれが最後かもしれません。」と言いました。私がこの教室は間もなく建て替える予定であると告げると、彼女は嬉しそうな、満足そうな笑顔を見せてくれました。濟南教会だけでなく、玉蘭荘にもこのような人情味あふれるエピソードが沢山あることでしょう。それらはみな徳、称賛に値することなのです。

 人の心は常に様々なものに思いを寄せています。使徒パウロはフィリピの人たちに、正しいことに思いを寄せなさいと説きました。これはとても大事なことです。私たちは生活の中にあるよくないもの、例えば金欲や色欲、酒、毒物などといったものに心を囚われすぎると、そこから抜け出せなくなってしまいます。しかし徳といわれるものは私たちの心を導き、人生をより美しいものにします。ですから、人はいつも徳を心に留めておくべきなのです。使徒パウロは次の六つの德を聖書に述べています。

一、真実なこと、つまり人生において心のよりどころとなること。
 人生において心のよりどころとなるものとは何でしょう。もちろん神様です。では逆に、真実ではないもの、それは非真実と偽りです。例えばバレンタインデー、多くの人が高価な品物を恋人にプレゼントするでしょう。花屋が一本五百元のバラの花を九百九十九本束ねて定価五十万元の花束を作り、それに豪華ホテルの宿泊とディナーをサービスで付けた「バレンタイン特別セット」を売り出し、なんとそれを予約した人がいるとニュースになったこともありました。しかし真実の愛とはこんな夢幻のようなものではなく、自分の命を捧げることなのです。神様が人々のためにその命を捧げたように、また親が子供のために自分の生活を犠牲にするように。

 数年前の事です、アメリカに七十二歳の老夫婦がいました。夫は腎不全を患い、検査の結果妻だけが適応条件を満たしているということで、妻の腎臓を片方移植することになりました。医師は言いました。「彼らは今までバレンタインデーに大したプレゼントもしなかったそうだが、今年彼は彼女から生涯最大のプレゼントを貰ったよ。」真実の愛は、決して滅びることがないのです。

二、気高いこと、つまり清らかで尊敬に値すること。
 他人に尊敬されるべき人は、清らかな人です。新約聖書でイエス様がファリサイ派の人々を偽善者だと批判したと書かれているように、尊敬されてもそれが偽りであればいつかは露呈します。使徒パウロがこの聖書において尊ぶべき相手だと示したのは、清らかで正直、そして忠実な人です。清らかであることは品格が高いということです。そのような品格は、子孫たちに伝え残すことのできる最高の贈り物です。

三、正しいこと、つまりどんな場合においてもひとつの理念を貫くこと。
 神様に対しても、他人に対しても、そのあるべき態度はひとつ。それは現在の社会に当てはめて言えば、家庭でも仕事の場でも自分の信仰を常にあらわすことです。ですからクリスチャンは必ず人に対して責任を持つこと、同時に神様に対してその責任を果たすこと。正しいことは正しい、正しくないことは正しくないとしっかり判断しなければなりません。

四、清いこと、つまり神様の前では清く正しく、常に誠実であること。
 イエス様は山上の説教で言われました。
「心の清い人々は幸いである。その人たちは神を見る。」
              マタイ福音書第五章第八節

 このみ言葉には神様の約束が示されています。もし私たちの心が清ければ、より神様に近づくことができるのです。神様は人々の心をよく見ておられます。清い心の持ち主こそ神様に愛される、ということを覚えておいてください。

五、愛すべきこと、つまり他人に心を開き、相手を思いやり、他人から親しまれること。今の言葉で言えば「共感」です。他人に共感できる人は慈愛に満ち、他人を受け入れる力のある人です。他人を自分と同じように愛し、心を開いて相手を受け入れる、そして相手の立場に身を置いて物事を考えられるようになりましょう。

六、名誉なこと、つまりよい評判を得ること。これも使徒パウロが常に述べていることです。(テモテへの手紙Ⅰ第三章第七、十三節を参照)
 以上六つの徳は、使徒パウロがフィリピ教会の信徒たちに努力して守るように説いた教えです。それらは本来人々が持っているものではありますが、使徒パウロはそれらの徳を常に心に留め、決して忘れてはならないと説きました。フィリピ教会の信徒たちは社会的地位の比較的高い人が多く、使徒パウロは彼らがイエスキリストを信じた後、善い行いをかさね、生活の中でより多くの信仰の証を得ることを望みました。

 使徒パウロは私たちにも「徳や称賛に値するものを心に留めなさい」と説き、私たちがその徳を体現し、子孫たちがそれを受け継いでゆくことを望んでいるのです。

      (陳旭星理事、重金優子翻訳)

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