玉蘭荘の原点/台湾基督長老教会 濟南教会 長老 林良信

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
〈コリント信徒への手紙(ニ)五:十七〉

 三十一年前のある日、当時、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)の派遣で、台湾で伝道されて居りました堀田久子先生からお電話を頂戴しました。用件は内湖の老人ホームへ入居中、私の召された母上の親友 Kこさんのお見舞のお誘いでした。余談ですが、老境の母上が台南で、一人暮らしの数年間、堀田先生は月一回、日帰りで、往復十時間以上の列車に乗って、台南へ赴いて、母上を励まして下さいました。先生の恩義に私は感謝感激でしたので、私は家内と二人で堀田先生に御供して、内湖へ赴きました。現在、地下鉄文湖線の大湖駅の近くの四階建てのアパートの一階でした。老人ホームへ入った瞬間、強烈な悪臭がしました。失禁状態の老人がオムツをつけず、垂れ流しによる悪臭でした。二十年ぶりで再会したKこさんはパーキンソン病で、言語機能を失い、手足が震えて、車椅子に頼って、かろうじて生きて居られる状態でした。堀田先生と家内が、Kこさんを早速お風呂に入れて、着替えさせて、スプーンで、お粥を食べさせてから、御一緒に賛美歌を歌い、詩篇を朗読して別れました。

Kこさんはミイラほどやせこけておりましたが、悪臭の最中で、を迎えて下さいました。Kこさんの笑い顔を、三十一年後の現彼女はユリの花の如き、平安に満ちた笑い顔で、私どもを迎えて下さいました。Kこさんの笑い顔を、三十一年後の現在も、私は忘れません。その後、間も無くKこさんは召されました。堀田先生が日語教会の加藤牧師と御一緒に、少人数でしたが、納棺式を行いました。私も参加しました。Kこさんの平安に満ちた御容態を再度伺い、心が動かされました。

Kこさんは戦前、東京の裕福な家庭に生まれ、東京で台湾の青年と結婚しました。戦後、御主人の台湾南部の実家での生活を始めた所、御主人が子供数名の既婚者である実態が判明しまして、彼女は晴天霹靂の打撃を受けて、どん底に落ち込みました。裏切りの打撃以外に、貧困、台湾と日本の文化のひらきの苦難が重なり、Kこさんは自害の一歩手前迄落ち込みました。幸いにして、未遂で助かりました。絶望のどん底から這い上がって、人生の再出発の苦闘の過程で、長野県生まれの私の母上が同信の友人とともに継続して居りました台南日語集会を通して、彼女はイエスキリストの福音に出会い、この日語集会に参加されました。Kこさんは高雄に近い田舎で、小さな日本語教室を開き、日本語を教え乍ら、自立の歩みを始めました。言語を絶する御苦労でしたが、彼女は御自分の生活を切り詰めて、御主人の子供達が大学を卒業する迄の学資を支えました。その間、彼女は熱心に台南日語集会へ通い、慰め、支えられ乍ら、二十年以上、苦しみを耐え忍び、御主人の子供達は学業を完了出来ました。人間の罪によって、苦難な人生を強制された彼女ですが、イエスキリストの福音に預かり、人を許し、自立を図り、微力であり乍ら、若人を助けることを目標とした、新しい人生の再出発が出来ました。悪臭の最中での最悪の人生の終焉でしたが、感謝と平安に満ちた彼女は、イエスキリストの福音の価値を証しされました立派なキリスト者でした。

その後間もなく、私は堀田久子先生から玉蘭荘設立の御相談を承りました。堀田先生はKこさんのことには触れませんでしたが、Kこさんの壮烈たる人生の歩みが玉蘭荘の原点になったかと私は信じて居ります。玉蘭荘の原点はイエスキリストの福音を通して、苦境における人間が生まれ変わり、希望と喜びを持って、人生の再出発を導くことです。

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