祝 玉蘭荘創立三十周年/理事長 都丸 正夫

玉蘭荘も創立から三十周年

玉蘭荘も今年で創立から三十年になります。理事長として、一つ大切なことは、歴史をいかに継承していくかということです。三十年の歴史の中から何を継承するかは、とりもなおさず未来にどのようにかかわっていくかということなので、歴史認識、現状把握そして未来展望の三つの分野にかかわる問題です。ですから、歴史を正しく継承できるかどうかは、私たちにとって難しい課題ですが、また同時に意義のある挑戦でもあるでしょう。

聖書の中には、時間を表す言葉がありますが、分単位秒単位で表す言葉は使われていません。ギリシャ語で、時を指す言葉には、代表的なのが二つあります。一つは、いわゆる時間のなかの時(クロノス)という意味と、もう一つは、特別な意味で使われ、何時何分という時ではなく、神様がなされる事件が起きる "時"(カイロス)のことです゜その両者とも神様が定めておられるといっています(徒一:七; 時期-クロノス、場合-カイロス)。聖書の時は、物理的なものだけではなく、むしろ何かが起こる神様の時をより重要に見ています。ですから、この三十年は、時間ではなく、事件の時なのです。神様が、多くの兄弟姉妹を通して、なされた素晴らしい神様の業の時なのですね。

さて、何を継承するかという課題には私たち理事会の統一した考えは、未だに存在していませんが、歴史認識を共有することがまず必要です。聖書では、ヨシュアに導かれたイスラエルの民が、ヨルダン川を渡った後、ヨルダン川の中から十二の石を取ってきて、そこに記念碑を建てました。それは、神がどのように彼らを導かれたかを忘れず永遠に記念するためで、歴史認識を示す行為でした。(ヨシュア 四:七) 数年前、理事の数人が集まって、玉蘭荘の歴史認識(記念碑)について意見交換したことがあります。その一つは、まずキリスト教精神で、二つ目には日本語が話せる高齢者を対象としている。三つ目には、憩いの場の提供、もう一つは、日台親善交流の場となることでした。

私にも個人的に、信仰の記念碑があります。それは、私の大学時代の出会いです。真鶴の金子先生の施設でのワークキャンプ-一輪車に土砂を一杯に入れて山の下まで何度往復したでしょうか、しかもどしゃ降りの雨の中で雨合羽を着ていても、身体はびしょぬれでした、また、大きな木の根株を皆で力をあわせて、やっとの思いで、引き上げ、そこを駐車場にしたこともありました。青森のワークキャンプでは、二メートルもあろうかと思われるコンクリートの管を谷底まで運び入れたこととか、そうそう台湾のワークキャンプの廖さんとの出会いも忘れません。それに、ビックリハウス(共同生活)も。永井さん、宇野さん、小川さん、原田さん、市村さん、安井さん......私の記念碑は、石ではなく、素晴らしい兄弟たちです。

このことは、玉蘭荘の歴史認識にも共通するはずです。誰と一緒にが、何をしたかに勝るのです。それこそ、一期一会の出会いの大切さなのです。堀田先生、鄭連德牧師、聖書と祈りの会の兄弟姉妹たちから大川姉妹、今井総幹事、渡部総幹事、許石枝理事、高李麗珍理事長から蔡仁理理事長、張明德兄弟、連碧玉姉妹、陳旭星兄弟をはじめ多くの理監事の方々、ボランティアの方々、お話を担当してくださる牧師先生たちと各種の活動の先生方、そしてもちろん会員の方々とどれだけ数多くの出会いがあり、思い出が作られてきたことでしょうか?

カイロスの時とは、イエス様が何年何月何日何時何分に誕生したかよりも、彼が確かに人として誕生したそのことが重要と考えるからです。このような考え方は、どう私たちの生活を変えるでしょうか?玉蘭荘の活動を一回も休まず出席することも素晴らしいことですが、その活動の中で神様とどう向き合ったのか、会員の人たちと良い交わりができたのかのほうがもっと大切で素晴らしいことなのです。このような"時"を、これからも大切にして行きたいものです。そして、神様から託されている使命を全うして行きたいものです。

神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。
わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。
神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、
あなたの力をきたらんとするすべての代に
宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。
(詩篇七十一:十七-十八)

評論: 0 | 引用: 0 | 閱讀: 600