ボランティアさんのリレーコラム-玉蘭荘へ感謝をこめて/長澤京子

「お義父さん、お義母さん、お元気ですか?」

私が台湾へ来て早いものでもう二十年近くの年月が経とうとしています。
二〇〇一年秋に語学留学生として台湾を訪れ、二〇〇二年に台湾人の主人と結婚しました。結婚当時の私は中国語もあまり話すことができず、慣れない異国での生活に楽しさもありましたが、行き詰まり、悩むことも多かったように思います。
そんな時、折に触れて私を助けてくれたのが、主人の父でした。義理の父は、一九二九年生まれの日本語教育を受けた世代で、日本語がとても堪能でした。

結婚後しばらくして長男を日本で出産し台湾に戻り、初めての子育て生活が始まりました。
慣れない子育ての中、病院に行っても、相手の言っていることがわからない、私の伝えたいことも伝えられない、今思えば大したことではないのですが、その時の私にとっては一大事。

そんな時、義父は、はるばる宜蘭から駆けつけて(その当時、まだ雪山隧道はありません。)孫を抱きながら、通訳をしてくれたのです、どんなに心強かったか。
でも、そのころの私は、日本とは全く違う台湾流の子育てになじめず、義両親の手助けを素直に受け止めることができなかったのです。

その後、次男を出産し、月に一度くらいのペースで家族そろって、宜蘭の義両親の家へ行き、食事をすることが我が家の行事となりました。義父は、日本語で孫たちと接してくれましたが、義母は日本語を忘れてしまったといい、台湾語のみだったので、孫たちとおしゃべりができませんでした。その代わりおいしい食事をたくさん用意してくれました。今思えばあの時もっとたくさん会いに行っていればよかった...。

主人の転勤で二〇一四年から家族で香港に移住しました。
香港は台湾と同じ中華圏なので、きっと変わらない生活を送れるだろう。そう楽観的に思っていたのですが、当時は言葉も通じず、想像していた生活とは全く違うものでした。子供たちの教育も含め、私はとても絶望的な気持ちになっていました。
そんな時に私に手を差し伸べてくれたのが、向こうで知り合った方々です。その方々を通して、私は自分自身のことを知り、たくさん学び、また救われました。

二〇一七年夏、義両親が相次いで他界しました。私たちが香港へ移住し、前のように会えなくなっていた時に届いた訃報でした。もっとたくさん二人と時間を過ごしたかった。とても悲しい気持ちなりました。
義両親は、亡くなる一年ほど前より、カソリックの老人ホームに入っており、実はそろって洗礼を受けていたのです。
今二人は、天国でも寄り添いつつ幸せに暮らしていることでしょう。

おととし、私たちは台湾に戻りました。香港で私が皆に助けられ、救われた感謝の気持ちを何かの形で伝えたい。
そんな時に玉蘭荘に出会いました。
まだまだお手伝いさせていただいて一年余りですが、ボランティアとして皆さんとご一緒し、日々成長させていただいています。
本当に感謝です。
元気に明るく楽しく過ごされている会員さんを見ながら、義両親もここにいたら......と思わずにはいられません。
義両親と過ごせなかった時間を皆さんと交わりながら楽しく過ごしていきたいと思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。

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